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    タグ:堀井雄二


    堀井 雄二(ほりい ゆうじ、1954年1月6日 - )は、兵庫県洲本市出身のゲームデザイナー、作家、アーマープロジェクト代表取締役。早稲田大学第一文学部卒業。『ドラゴンクエストシリーズ』の生みの親、シナリオライターである。愛称は「ゆうてい(ゆう帝)」。 実家は淡路島の洲本市街地で堀井
    26キロバイト (3,253 語) - 2022年3月18日 (金) 17:08
    アメリカのカリフォルニアで開催中のゲーム開発者会議「Game Developers Conference 2022」の表彰イベント「Game Developers Choice Awards」にて、ゲームデザイナーの堀井雄二氏がビデオ出演した。

     堀井氏は、GDC 2022において、長くに渡ってゲーム業界に貢献した人に贈られる「生涯功労賞」(Lifetime Achievement Award)を受賞しており、これに合わせる形でビデオメッセージが公開された。

     堀井氏はメッセージの中で、自身とゲームの関わりを原点から振り返り、さらに「ポートピア連続殺人事件」や「ドラゴンクエスト」誕生までの経緯を改めて語った。

     また開発中の最新作「ドラゴンクエストXII」にも触れ、他の新作も多数準備中であること、また「ドラゴンクエストXII」は「『ドラゴンクエストXI』以上に世界のたくさんの皆さんにプレイしていただければ」とコメントした。

    記事本文はこちら
    https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1397523.html

    1 征夷大将軍 ★ :2022/02/28(月) 13:25:13.61

    ファミ通com
    2022.02.26 14:30
    https://www.famitsu.com/news/202202/26252791.html

    世界最大規模のゲームクリエイターのためのカンファレンス“GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)2022”にて、『ドラゴンクエスト』シリーズの生みの親である堀井雄二氏が、“Lifetime Achievement Award(生涯功労賞)”に選ばれたことが明らかになった。

    世界中のゲーム開発者が最新の開発事例を報告し合うGDCでは、毎年“Game Developers Choice Awards(GDCアワード)”が選出されており、ゲーム開発者たちの投票によって部門別にさまざまなゲームが表彰される。

    “Lifetime Achievement Award(生涯功労賞)”はその特別賞のひとつで、生涯に渡ってゲーム業界に大きく貢献したクリエイターに与えられる。堀井氏は、『ドラゴンクエスト』の生みの親として、RPGのゲームデザインに影響を与え続けた功績が讃えられての受賞となったようだ。

    なお、日本のクリエイターで過去に受賞したのは、以下のような錚々たる面々となっている。ここに、新たに堀井氏も名を刻むことになる。

    GDCアワードで過去に生涯功労賞を受賞した日本人クリエイター

    中裕司氏(『ソニック』シリーズほか)
    横井軍平氏(ゲームボーイなどの生みの親)
    宮本茂氏(『スーパーマリオ』シリーズ、『ゼルダの伝説』シリーズほか)
    小島秀夫氏(『メタルギア』シリーズ、『デス・ストランディング』ほか)
    久夛良木健氏(プレイステーションの生みの親)
    坂口博信氏(『ファイナルファンタジー』シリーズほか)

    なお、このたびの特別賞では、生涯功労賞以外にも“Ambassador Award”の受賞者が発表されており、こちらはビデオゲームのアクセシビリティ機能の発展に大きく貢献したSteven Spohn氏が選ばれている。

    GDC 2022は、2022年3月21日~25日(現地時間)に、アメリカ・サンフランシスコのモスコーニセンターにて開催される(登録者向けにはオンラインの配信もある)。GDCアワードのおもな賞の発表と表彰は、会期3日目の3月23日に行われる予定だ。


    【【ゲーム】『ドラクエ』の堀井雄二氏がGDC 2022の“生涯功労賞”でコメント発表「『ドラゴンクエストXII』は世界のたくさんの皆さんに楽しんでほしい」】の続きを読む


    ポートピア連続殺人事件』(ポートピアれんぞくさつじんじけん)は、堀井雄二がデザインしたアドベンチャーゲーム。1983年6月にエニックス(現在のスクウェア・エニックス)よりPC-8801版から発売され、当時の多くの家庭用PCに移植された。1985年11月29日にファミリーコンピュータ(以下、ファミコ
    43キロバイト (5,350 語) - 2021年11月9日 (火) 11:35



    1 愛の戦士 ★ :2021/11/29(月) 09:44:11.47

    ファミコン初のアドベンチャーゲーム『ポートピア連続殺人事件』が発売。謎が謎を呼ぶ本格ミステリーはもちろん、犯人の名前も一躍有名になった名作【今日は何の日?】

    ファミ通.com 11/29(月) 8:00

    文:菅谷あゆむ
    多くの人を虜にしたミステリー

     いまから36年前の1985年(昭和60年)11月29日は、ファミコンで『ポートピア連続殺人事件』が発売された日。

     『ポートピア連続殺人事件』は、エニックス(当時)から発売されたファミコン初のアドベンチャーゲーム。もとは1983年にPC版として発売された作品で、その後さまざまなPCに移植され、1985年にファミコンでのリリースにいたった。シナリオ、グラフィック、プログラムのすべてを、『ドラゴンクエスト』シリーズの生みの親として有名な堀井雄二氏がひとりで手掛けていることでも有名。なお、ファミコン版の開発元はチュンソフトとなっている。

     プレイヤーは刑事(ボス)となって、相棒のヤスとともに神戸で起こった殺人事件に挑んでいくことになる。事件のあらましはこうだ。


     “ローンやまきん”の社長“やまかわこうぞう(山川耕造)”の死体が、自身の屋敷で見つかった。遺体の第一発見者である守衛の“こみや(小宮)”と秘書の“さわきふみえ(沢木文江)”を聴取すると、耕造が密室で*でいたことが明らかになる。何者かに殺害されたのか、はたまた自殺なのか。やがて耕造と金銭的な繋がりがあった“ひらた(平田)”、“かわむら(川村)”という人物が捜査線上に浮かび……。

     ゲームの全容を知っている人は多いと思うが、すべて書くのは野暮なのでここまで。



     前述のとおり、本作はファミコン初のアドベンチャーゲーム。表示されるコマンドを選択して行動をしていくというスタイルに、筆者は衝撃を受けた。子どもだったので最適解がわからず苦戦した覚えがある。

     そうしてむやみやたらに“たたけ”や“たいほ しろ”を連打したりもした。捜査の途中、“むしめがね”画面をいろいろクリックして調べていると、ヤスが「あっ! これはっ!」と言うので何か見つかったのかと喜んだのも束の間、「なーんて うそです」と言い出したときは心の底から怒りが湧いたものだ。そんなヤスには、“むしめがね”で太陽を見せる刑!



     本作を象徴するもののひとつに、地下迷路がある。進めども進めども代り映えのない景色が広がる3Dダンジョンに苦戦した人は多いだろう。方眼紙にマップを書くというテクニックを知らなかった筆者は毎回迷い、奇跡を信じてただただ進んだ。背後の壁が急に閉まったときは、もう生きて帰れないと思ったものだ。しかし本作はセーブ機能がないので、一度ゲームをスタートさせたらクリアーするしか道はない。


     個性的なキャラクターが織り成すドラマはもちろん、真相に一歩近づいたと思ったらさらなる謎が噴出するという本格ミステリーに、夢中になってプレイした人は多いはず。なぜ茂みから指輪が出てきたのか、“こめいちご”とは何か、耕造はなぜ叫び声を上げていたのか……。

     すべての謎を解いて犯人にたどり着いたとき、プレイヤーの心にはあらゆる感情が濁流になって押し寄せたことだろう。



     さまざまな要素が当時のゲーマーの心をつかみ、本作は犯人の名前も含めて大きなブームを巻き起こした。ゲームをプレイしたことのない人でも、犯人の名前を知っている人は多いだろう。当時は犯人がわかっているのにゲームをプレイする人が多かったのだから、作品自体に魅力があるとしか言えない。

     ちなみに、『ポートピア連続殺人事件』と、堀井雄二氏が後に手掛けた『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』(1984年)、『軽井沢誘拐案内』(1985年)と合わせて“堀井ミステリー三部作”と呼ばれている。

     現在、本作を遊ぶにはファミコンでプレイするしか方法がない。そうした点も、この作品がいまなお多くの人の中で輝きを放っている理由なのかもしれない。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/9329fbf147a7b55868a9a58d488b88f81c3fcafe
    (写真:ファミ通.com)

    (出典 i.imgur.com)


    【【ゲーム】ファミコン初ADV『ポートピア連続殺人事件』が発売36周年。謎が謎を呼ぶ本格ミステリーはもちろん、犯人の名前も…】の続きを読む


    堀井 雄二(ほりい ゆうじ、1954年1月6日 - )は、兵庫県洲本市出身のゲームデザイナー、作家、アーマープロジェクト代表取締役。早稲田大学第一文学部卒業。『ドラゴンクエストシリーズ』の生みの親、シナリオライターである。愛称は「ゆうてい(ゆう帝)」。 実家は淡路島の洲本市街地で堀井
    26キロバイト (3,265 語) - 2021年5月20日 (木) 10:58



    (出典 cdn.wiki.denfaminicogamer.jp)



    1 名無しさん必死だな :2021/05/24(月) 16:24:32.61

    堀井雄二 @YujiHorii
    いよいよ今週の木曜日で、ドラゴンクエストが35周年を迎えます。そして、すでに知っているかもですが、当日、35周年記念特番を配信します。
    放送では、これまでの感謝の意を込めて、多くのことを発表します。もちろん、あのゲームのことも…。皆さん、お楽しみにです!!
    https://twitter.com/YujiHorii/status/1396720654402023428
    https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)


    【【ゲーム】堀井雄二氏「27日に多くの事を発表します。もちろん、あのゲームのことも…。」】の続きを読む


    2018年1月24日閲覧。 ^ a b “ドラクエ生みの親、名誉市民に”. 毎日新聞 (2017年12月21日). 2018年1月24日閲覧。 ^ DQIX情報ブログ2010年9月16日「経済産業大臣賞&ベストセールス賞受賞!」より。 2012年6月28日閲覧。 ^ “「淡路島の野山がドラクエの元に」 兵庫・洲本市、堀井さんに名誉市民称号”
    25キロバイト (3,077 語) - 2021年1月5日 (火) 20:25



    (出典 dot.asahi.com)



    1 muffin ★ :2021/01/11(月) 21:33:19.85 ID:CAP_USER9.net

    https://dot.asahi.com/dot/2021010600082.html?page=1

    いまや、国内のみならず世界中のファンからも愛される作品となった「ドラゴンクエスト」シリーズ。その生みの親である堀井雄二さん(67)に、同作のルーツや創作の秘密、今後の「ドラゴンクエスト」について聞いた。

    ――86年、その「ドラゴンクエスト」が発売され、「国民的RPG」と呼ばれるほど人気のゲームになりました。

    80年代前半はプレーヤーが行動を選択して物語が進んでいくアドベンチャーゲームがはやっていました。でも謎解きに詰まってしまうとプレーヤーのやることがなくなっちゃうんです。その点、RPGならレベル上げで遊べる。ただ当時「ウィザードリィ」(81年)のようなRPGはありましたが、自由度が高い分、何をしていいのかわからない人も多かった。そこで、シナリオを作ることでレールを引いてあげれば、とっつきやすくなるんじゃないかと考えたんです。83年に発売されたファミコンは、ゲームセンターでやるようなゲームを家で遊べるという点で画期的でした。「もしファミコンでRPGを遊べたら、きっと皆がハマるんじゃないか?」と思い、それで、ファミコンの世界でRPGを表現しようと決めて、エニックス(現在はスクウェア・エニックス)に打診したんです。
    中略

    ――発売当時の「ドラゴンクエスト」は新しく画期的な作品でしたが、受け入れられる自信はありましたか?

    当時のRPGはマニアックな分野だったので、いきなりファミコンに持ち込むのはハードルが高いという見方もありました。それを見越して、実は担当していたジャンプのゲーム紹介ページで、「RPGはこんな遊びだよ!」「こんなに面白いよ!」と啓発していたんです。ジャンプでさんざん啓発していたので、わからないことはないだろうと(笑)。

    ――シリーズを重ねるごとにゲームのシステムも様変わりしていきました。

    「I」ではデータの容量がかなり限られていたので、職業や転職など、やりたかったことをほとんど切り捨てました。「II」になると容量が倍に増えて、できることが増えていった。「ロト三部作」の最後になった「III」では、やりたかったことを全てやり終えた感じでしたから、「IV」では「何をしようか」とずいぶん悩みました。前作が社会現象になって期待が高まっていた分、プレッシャーだらけでした。

    ――シリーズの中で一番苦労したのは「IV」ですか? 

    いや。実は「VII」ですね。ちょうどその作品から、メディアがCD-ROMになったんです。容量を気にしなくなったことで、世界を大きくし過ぎて、逆に開発が終わらなくなり、発売が2年も延びてしまいました。プレイ時間も長くなったので、プレーヤーも大変だったと思います(笑)。

    中略

    ――誰もが聞きたい質問だと思いますが、今後の「ドラゴンクエスト」はどのようになっていくのでしょうか?

    秘密です(笑)。ゲーム機がどうなっているのかにもよりますし、もしかしたら将来、部屋にいながら、「ドラゴンクエスト」の世界がそこにあるといったように、VRで楽しめる日が来るかもしれません。あとは、仲間キャラの性格や会話にAIのシステムを取り入れられたら面白いなとも考えています。一緒に冒険する仲間がAIで、どんどん育っていって、話し相手になってくれたらいいですね。今後もドラゴンクエストという名前で、新しくて刺激的な遊びを提供していきたいです。

    ――ゲームに限らず、今後、堀井さんが実現させようと考えている「驚き」を教えてください。

    いつか現実世界で、「勇者の墓」を作りたいと思っています(笑)。核家族化が進んで、「墓を作ってもしょうがない」って言う人もけっこういるので、みんなが勇者として、そのお墓に入れるようにしたい。そこは「お墓+データベース」になっていて、お墓に自分が生きてきた記憶をしまっておけるんです。訪れた人に、自分が用意していたデータをみせることで、「この人はこういう人生をおくったんだ」と知ってもらうことができる。たとえばひいじいちゃんが勇者として映像で語り掛けてきたら、「おお!」ってなりますよね。もちろん、僕も入りますよ!

    全文はソースをご覧ください


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