ゲーマーズROOM

ファミコン世代が喜びそうなゲームネタを中心に、ゲーム、アニメに関わる様々な情報をまとめたブログです。

    タグ:ピピンアットマーク


    ピピンアットマーク(Pippin atmark、Pippin @. )とは、バンダイ・デジタル・エンタテイメントがアップルコンピュータと共同開発したMacintosh互換のマルチメディア機。名前の「ピピン」はリンゴの一品種からとられている。 Mac OS(7.5
    14キロバイト (1,605 語) - 2021年2月20日 (土) 01:50



    (出典 storage.mantan-web.jp)



    1 :2021/03/09(火) 15:05:13.82 ID:NCfpgZsm0.net BE:811571704-2BP(2072)


    (出典 img.5ch.net)

    https://mantan-web.jp/article/20210308dog00m200063000c.html
    バンダイ:黒歴史? NHKで「ピピンアットマーク」秘話 “世界一売れなかった”次世代ゲーム機の後日談も


    (出典 storage.mantan-web.jp)


    大手玩具メーカー「バンダイ」がかつて発売したゲーム機「ピピンアットマーク」が、
    講談師の神田伯山さんの経済番組「神田伯山のこれがわが社の黒歴史」
    (NHK・BSプレミアム)で、「“世界一売れなかった”次世代ゲーム機」として取り上げられる。

     プレイステーションやセガサターンなどがしのぎを削るゲーム市場に挑んだバンダイ。
    同社が米国のアップル社と共同開発した「ピピンアットマーク」は、1996年に発売されたが、
    約270億円の損失を招く結果となった。

    “夢の次世代マルチメディア機”はなぜ失敗したのか、徹底取材で失敗の本質と驚きの
    後日談が明らかになる。

     “黒歴史”をひもとく再現VTRは、人気アニメ「ガンダム」シリーズのプラモデル
    (ガンプラ)によるコマ撮り映像になっていて、一流クリエイターの手による“動くガンプラ”が
    ストーリーを盛り上げる。番組は3月19日午後11時15分に放送される。


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    「私の課長時代」より ^ バンダイ、ピピンから撤退。BDE清算、PC watch、1998年2月27日 ^ ピピン@アットマーク、店頭販売開始 PCWatch 1996年5月27日 ^ オリンパス、ピピンアットマーク用MOドライブを発表(「PCウォッチ」1996年9月24日) FM TOWNS マーティー RX-78
    12キロバイト (1,448 語) - 2019年5月11日 (土) 09:45



    (出典 weekly.ascii.jp)



    1 朝一から閉店までφ ★ :2018/03/28(水) 09:58:52.12 9.net

    2018年03月27日 09時00分00秒
    1972年にマグナボックスから「オデッセイ」が発売されて以降、家庭用ゲーム機は世代を重ねながらさまざまな機種が登場しました。
    1980年代に発売された任天堂のファミリーコンピュータやセガのメガドライブなどは、今なおレトロゲームファンから人気の高いゲーム機ですが、
    一方で家庭用ゲーム機の長い歴史の中に埋もれてしまい、人びとの記憶から失われつつある不遇のゲーム機も存在します。その一例として「ピピンアットマーク」が、技術系メディアのars technicaで紹介されています。

    The Mac gaming console that time forgot | Ars Technica
    https://arstechnica.com/gaming/2018/03/the-mac-gaming-console-time-has-forgot/

    1993年中頃、Appleは、6億ドル(約630億円)の費用を投入して開発したレーザープリンター・カラーモニターなどが全て不振に終わり、業績は低迷していました。
    1993年当時のPC市場ではAppleのシェアはおよそ12%でしたが、AT互換機はMacintoshの10倍の売れ行きを見せ、Appleのシェアはどんどん縮小していく一方でした。
    起死回生の策として出したPDA端末「Apple Newton」はPDAとしては大きすぎるサイズ・操作性の悪さなどで酷評を受け、完全に失敗に終わりました。

    (写真)
    by guccio@文房具社

    そこで、それまでAppleが占有していたMacシステムのライセンスを解放し、Apple以外の企業もMacintoshのハードウェアを製造できるようにし、
    同時にMac OSに対応したゲームソフトを市場に投入することで、市場のシェアをMicrosoftから奪うことができるだろうと、
    Appleの取締役や経営幹部は考えました。なお、Apple創立者の一人であるスティーブ・ジョブズはこの時既にAppleから追放され、取締役から退いています。

    そんな時、マッキントッシュOEM製品のディレクターであるエリック・サーキン氏は、日本のおもちゃ会社であるバンダイからMac OSベースのゲーム機を作りたいというアプローチを受けました。

    1994年、バンダイはパワーレンジャーをアメリカでヒットさせ、関連商品の売上げから約3億3000万ドル(約350億円)の利益を得るなど、順調に世界的大企業へ成長していました。創業者の長男である山科誠氏は、
    バンダイを単なるアクションフィギュアのおもちゃ会社としてではなく、ディズニーや任天堂のようなグローバルエンターテインメント企業としてマルチに展開させていく構想を描いていました。
    バンダイは「セーラームーン」「ドラゴンボール」「パワーレンジャー」など、自社が抱えているキャラクターのゲームをプレイできるMac OSベースのマルチメディアマシンの開発を計画したというわけです。

    (写真)
    by heath_bar

    そこで、サーキン氏は日本へ飛び立ってリサーチを行い、バンダイと話し合いを進めて、「ピピンプロジェクト」を立ち上げました。
    しかし、Appleのゲーム機開発担当部署であるパーソナルインタラクティブエレクトロニクス(PIE)が、日本の企業とのゲーム機製造に全く乗り気ではありませんでした。
    そのため、Appleは携わるのはハード開発の協力のみで、製造・マーケティング・ブランディングには一切関与しないという契約を交わしました。

    しかし、Appleとバンダイは計画当初から足並みがそろいませんでした。バンダイは「安価でMacに互換性のあってインターネットが可能なマシン」というコンセプトを掲げていたのですが、
    「インターネットは金にならない」と考えていたAppleはこのコンセプトに懐疑的だったとのことです。さらに、「他社製の安価なMac互換機によって現行のMacintoshの売上げが下がるようなことがあってはいけない」と考えていたため、
    ハード開発の段階でAppleが現行のMacintoshに近いシステムを要求し、予定よりもコストが跳ね上がってしまいました。

         ===== 後略 =====
    全文は下記URLで

    https://gigazine.net/news/20180327-history-of-pippin-atmark/


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