マリナ@ゲーマーズROOM@ROOM15923529
今年に入ってから次世代MSXの開発状況については西和彦氏が自ら発信されてますね🐹
2022/09/09 19:12:16
今年1月にニュースになってたときの記事見落として方はこちらも参考までに🌟
https://t.co/UKdK0AJrbo
西和彦氏のツイートからMSX3の姿が浮かび上がってきます。
CPUは32ビットのARM。64ビットもありそう。
GPUはNVIDIA。⇒(9/6 11:51訂正)MSX3 とは別の「MSX Video Engine」だそうです。
OSはLinuxも動く。
過去のMSX/2/2+/turboRとソフトウェア的には互換性を保つ。
過去のMSX/2/2+/turboRにMSX3のカートリッジを挿すことでMSX3になる。
MSX3単体製品も発売される。
IoT、スパコン、ホビーコンピューティングが3つの柱。
MSX3で個人がスパコンを持てるようにする。
MSXはそもそも個人や家庭にコンピューティングを普及させることを目的としていました。西和彦氏は学生時代から、コンピュータとアートの可能性に熱い想いを抱き、1977年7月の月刊アスキー創刊号の巻頭で「コンピューターはメディアになる」と未来を予見しています。
西和彦氏の考えるパーソナルコンピュータとはクリエイティブなツールやメディアであったようです。その思想は「Dynabook」(1972年)を提唱したアラン・ケイに通じるところがあり、西氏は世界初のハンドヘルドPC「HC-20」(1982年)や「PC-8201」(1983年)、世界初のIBM PC互換ラップトップ「Zenith Z-171」(1985年)などを企画・開発しています。マウスとカラーGUIを備えたPC-100(1983年)も西氏の仕事です。
残念ながら1980年代は個人用パソコンはゲーム機として見なされることが多く、同時期に発売された安価なゲーム機である任天堂の「ファミリーコンピュータ」と市場で比較されてしまったことがMSXの悲劇でした。
若き日の西氏は天才的でしたがあまりに直情径行が激しくさまざまな場所で衝突し、また当時は経営者としての知識がなかったために経営危機を招き、その結果マイクロソフトもアスキーも追われました。
その後は博士号を取得して大学教員の道を歩みましたが、60歳を機にエンジニアに戻ることを決意し、東京大学でIoT(Internet Of Things:モノのインターネット。世の中のさまざまなモノをインターネットに接続し通信しあう)をテーマにラボを運営したようです。
今回の「MSX3」は、その経験を元に、過去のMSXゲームとの互換性を維持しつつも、IoTやスパコンというコンピュータの最新トレンドを、個人が遊べ楽しめることを目指しているのでしょう。
1980年代から1990年代のパソコンは新しい技術を弄って楽しめる「最高のオモチャ」でした。しかし、オフィスや家庭に普及が進んだ結果、パソコンは仕事や生活のための単なる道具になってしまいました。
東大を定年退職し66歳になった西氏がチャレンジするMSX3は、あの頃の楽しかったパソコンを今の時代にフィットした形で蘇らせてくれるかもしれません。
参考文献:『反省期』西和彦 著
記事本文はこちら
https://www.gamespark.jp/article/2022/09/05/122012.html
ゲーム機 ハードウェア 2022.9.5 Mon 21:00
かつてホビーパソコンとして愛された「MSX」。その新たな展開を告げる「MSX DEVCON TOKYO 1」が2022年9月3日土曜日に東京大学工学部の講義室で開催されました。
MSXの生みの親・西和彦氏によって、32年ぶりに新規格「MSX3」が発表されましたが、講演会の内容自体は秘密保持契約によって明かせません。
しかし、西和彦氏は2022年に入ってからTwitterで来たる「MSX3」について積極的にセルフリークを行ってきています。
本記事では、講演会に参加した筆者が公開済みの既知の情報を元に「MSX3」の姿を解き明かしていきましょう。
■世界初の家庭用パソコンの統一規格だった「MSX」
「MSX」は1980年代にソニーや松下電器(現・パナソニック)など国内外の電機メーカーが参加した家庭用パソコンの共通規格です。
当時は、各メーカーが互換性のない独自のパソコンを発売してシェアを争っていました。
それでは「パソコンの普及などあり得ない」と考え、当時アスキーとマイクロソフトの副社長を兼務していた西氏が1983年に提案したのが共通規格「MSX」です。この規格には日本メーカーを中心に全世界の26社が参加。
MSXはその後、独自開発したカスタムチップによって高性能化を図ったMSX2(1985年)、MSX2+(1988年)、MSXturboR(1990年)と発展しました。MSXは商業的には失敗だったとされていますが、MSXをきっかけにコンピュータでプログラミングを覚えた人、いまでもMSXを愛する人達が世界中におり、今日にも連なるゲーム文化の礎ともなりました。
なお、2006年にはFPGAを使ってMSX2の全機能を1チップで再現した「1チップMSX」がD4エンタープライズ社から限定5000個で販売されました。
■MSX3の全貌を探る
https://www.gamespark.jp/article/2022/09/05/122012.html
車かと思ったわ。
>当時は、各メーカーが互換性のない
>独自のパソコンを発売してシェアを
>争っていました。
>
>それでは「パソコンの普及などあり得ない」
>と考え、当時アスキーとマイクロソフトの
>副社長を兼務していた西氏が1983年に提案した
>のが共通規格「MSX」です。
志ざしは良いが、方法がいけない。
ハードウェア互換ではなく、BIOS互換路線で
行くべきだった。
既に CP/M というオペレーティングシステムが
存在していたのに、何故そうしなかったのか?
S-MX
ちょい金持ちの友達が持ってて少しやらせてもらった。
(約30年前のメーカー希望小売価格59.800円)
訳知り顔で全然ズレた話題乙
MSXの商業プログラムを作っていた世代がそろそろ年金生活になるから、悠々自適の生活のついでに面白いソフトを開発してくれることを期待したい。
結局パソコンブーム第一世代さいつよよな
TVにブラウン管TVに同軸ケーブルで繋ぐ
プログラムセーブロードはラジカセとアクシアのテープ
岡田由希子はパソピアIQだよ…
瑞起とかいう中国メーカーがなんかやってるみたいやぞ
東京大学大学院工学系研究科IOTメディアラボ ディレクター、埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授、学校法人須磨学園学園長。
内藤氏のC言語講座見て自分で作って見てはどうか
やりたいという話は出てるからな
版権が解決したから
7と16は違う、IQはMSX
MSXグラディウスとか魔城伝説とかめちゃくちゃ面白かったな
ファミコンよりヘボなグラフィックでも、ゲームってちゃんと面白くなるんだと教えてくれた
実家の天袋に眠っているはず
ゲームソフトも数本あったはず
買ったわそれ
流石にカセットデッキのベルトとか録音してるテープとかが逝ってると思ったがなんの問題もなく起動。
あの頃はいい材料使ってたんだろうな。
あなたの保管状態が良かったのかと
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