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ファミコン世代が喜びそうなゲームネタを中心に、ゲーム、アニメに関わる様々な情報をまとめたブログです。

    タグ:MSX


    西 和彦(にし かずひこ、1956年〈昭和31年〉2月10日 - )は、日本のエンジニア・クリエーター・ビジネスマン・教育者。日本のパーソナルコンピューターの黎明期に活躍した人物でASCIIの創業者、MSXの生みの親である。 東京大学大学院工学系研究科IOTメディアラボ
    30キロバイト (4,330 語) - 2021年8月5日 (木) 10:23



    1 朝一から閉店までφ ★ :2021/09/02(木) 16:40:22.58

    2021/08/30 21:28

    編集部:早苗月 ハンバーグ食べ男

     須磨学園学園長や日本先端大学(仮称)設立準備委員長などを務める西 和彦氏が,Twitter上の“次世代MSX”に関する話題に自身のアカウントから「もうすぐ」「マジ」とコメントし,プロダクトがローンチ目前であることを明らかにした。

     西氏は1977年にアスキー出版(現在はKADOKAWAおよび角川アスキー総合研究所が継承)を設立し,「月刊アスキー」を創刊。1978年にMicrosoft副社長となりPC-8801(NEC)やベーシックマスターレベル3(日立製作所)の企画・設計に参画,1983年にMSX規格の考案に携わるなど,黎明期の国内IT業界およびゲーム業界に多大な影響を与えた人物だ。

     西氏が計画する“次世代MSX”は東京大学で開発されており,同氏が自身のサイトで公表している情報によると,「CPUはZ80、R800、64bitのARMにした」「それに加えて32bitのARMと32bitのx86と16bitのx86と8bitのR800を載せることにした。一種のVMである」「CとPythonとLISPが使える様になる」とのこと。ハードウェアの市場における位置付けとしては「Raspberry Piと共存しながら存在を主張」するものであり,設計コンセプトは「一番の特徴はメディアマシンであるということ。
    二番目はIoTのコントローラーとしての機能を持つということ。三番目はマルチCPU時代に対応するパーソナルスーパーコンピュータに拡張することができること」といった3点が掲げられているという。また,旧MSX用のROMカートリッジを動作させることが可能であるなど,後方互換性も考慮されているようだ。

     西氏自身も「狂気の沙汰だ」と述べている“次世代MSX”は,Raspberry Piや「プチコン4 SmileBASIC」などの存在する現代において,どのような価値を発揮するだろうか。「予想もつかない」というのが正直なところだが,“古くて新しい”プラットフォームの登場を楽しみに待ちたい。

    ※引用部は,いずれも原文ママ。

    https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20210830103/


    【【PC】え!?MSXの立役者・西 和彦氏が“次世代MSX”に「もうすぐ」とコメント。自身で“狂気の沙汰”と呼ぶプラットフォームとは】の続きを読む


    ファミリーコンピュータ > ファミリーベーシック ファミリーベーシック(FAMILY BASIC)は、任天堂が1984年(昭和59年)6月21日に発売したファミリーコンピュータの周辺機器の1つ。BASIC言語を組み込んだロムカセットと、ファミコン本体のエキスパンドコネクタに接続するキーボード、プロ
    15キロバイト (1,936 語) - 2021年6月10日 (木) 23:43



    (出典 auctions.c.yimg.jp)



    1 愛の戦士 ★ :2021/04/08(木) 01:32:37.07 ID:XUD2RyvG9.net

    ふたまん 4/6(火) 7:06

     ゲームにプログラミング、ワープロや表計算を始め、さまざまな用途のあるパソコン。今では当たり前のように使っているパソコンも、かつては非常に高額な物が多く、最初に触れたパソコンが忘れられない人もいるはず。かくいう私も親に「プログラミングの勉強がしたい」などと建て前を述べ、ゲームがやりたくてパソコンを買ってもらった経験があり、その機種には思い入れがある。

    ■【ランキング結果】40、50代が「初めて所持したパソコン」1位から13位はコチラ■

     Windowsマシンが出る前は、ホビーユースのものから高性能なビジネスユースのパソコンまで、各社からバリエーションに富んだ機種が発売。書店にはいろんなパソコン専門誌が並んでいたことを覚えている同世代の人もいることだろう。

     そこで今回は40代から50代の男性300名を対象に「初めて所持したパソコン」をリサーチ。一番最初に手に入れたパソコンはどんな機種、どんなOSだったのかをランキング形式で紹介していこう。(アンケートサイト「ボイスノート」協力)

    ■高嶺の花だったNECのビジネスPC
     まず第3位(11.7%)にランクインしたのはNECが発売した「PC-9800シリーズ」。同シリーズは1982年から2003年まで長きにわたって発売され、一時は国内で圧倒的なシェアを誇った国民的パソコンだ。

     16ビットCPUが採用されたPC-9800シリーズは主にビジネス用途で人気を博し、価格は非常に高額。当時、同シリーズを所持していた家庭は、親が仕事のために購入したというケースが目立った。

     さらに16ビットパソコンとしての性能の高さ、シェアの高さもあいまって、PC-9800シリーズではさまざまなゲームソフトも発売。豊富なゲーム目当てでPC-9800シリーズに目をつけ、仕事や勉強に活用できると親をそそのかして買ってもらったという話もよく聞いたものだ。

    ■人生の転機に購入したパソコン?
     第2位(15%)には、「XP以降のWindowsマシン」がランクイン。マイクロソフトのOS「Windows XP」の発売が2001年なので、今回アンケートの対象者である40代~50代の場合、成人してから初めてパソコンを手に入れたということになる。現在40代の人ならちょうど就職する頃に出回っていたのが「Windows XP」なので、パソコンを入手する良いタイミングだったのかもしれない。

     Windows XPは、家庭向けのWindows95や98と、ビジネス向けのWindows NTや2000を合わせた、いわゆる“いいとこ取り”を実現。OSとしても爆発的に普及し、いまだにXPの操作感覚が「一番しっくりくる」という人も多いのではないだろうか。

     ちなみにXPのサポートは2014年に打ち切られているが、いまだに現役で稼働している場面をチラホラと見かける。

    ※続きはリンク先で
    https://news.yahoo.co.jp/articles/1bf24e6965abb8ffcdef4f469081dbdca20634e0
    ★1の立った時間
    2021/04/06(火) 08:02:40.41
    ※前スレ
    「一番最初に所持したパソコン機種」は? 懐かしのMSXやX68000、ファミリーベーシックの名前も★5 [愛の戦士★]
    https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1617724073/


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    (出典 img.aucfree.com)



    1 名無しさん@おーぷん :21/03/25(木)14:36:55 ID:FaW

    88版のパチモンスペースハリアーをクリアしたワイ「お父さんみて!みて!」
    父「あれ?お前天才じゃね?」

    その後すぐに父がワイ専用にMSX買ってきたンゴ
    たしかカシオのこれだったはず

    (出典 i.imgur.com)


    なおワイはただのゲーム好きに育った模様


    【PC88を買ってきた父「ゲームあるよ」2歳ワイ「どぅほほーい!(歓喜)」】の続きを読む


    一連のMSX規格には以下が存在する。 MSX MSX2 MSX2+ MSXturboR また上記の規格を元にした以下のMSX動作環境も存在する。 fMSX、ルーMSX、MSXPLAYer、NLMSX、blueMSX、openMSX、WebMSXなどのMSXエミュレーター 1チップMSX Zemmix
    118キロバイト (17,596 語) - 2020年10月14日 (水) 08:33



    (出典 maedahiroyuki.com)



    1 :2020/12/05(土) 18:47:18.91 ID:pTLFdhef0●.net BE:439992976-PLT(16000)


    (出典 img.5ch.net)

    ついに明かされる! 伝説のパソコン「MSX」誕生の驚くべき“舞台裏”


    IT黎明期に日本のみならず世界を舞台に活躍した「伝説の起業家」、
    西和彦氏の初著作『反省記』(ダイヤモンド社)が出版された。
    マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、
    創業したアスキーを史上最年少で上場。
    しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。
    20代から30代にかけて劇的な成功と挫折を経験した「生ける伝説」が、その裏側を明かしつつ、
    「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴ったのが『反省記』だ。
    ここでは、アスキー創業後すぐに生み出した、あるイノベーションについて振り返る。

    ● パソコンの「統一規格」をつくる
    パソコンの統一規格をつくる――。
    その理念のもと、アスキーが「MSX」というブランドを立ち上げたのは、1983年のことだ。
    今では、どのメーカーのパソコンを使っても、何不自由なくデータを共有することができるが、当時は、それができなかった。
    多くのメーカーが独自のハードウェアをつくり、僕が社長を務めていたアスキー・マイクロソフトが、
    それぞれの仕様に合わせて、マイクロソフトBASICを大幅にカスタマイズして“移植”していたから、
    メーカーごと、機種ごとの互換性がなかったのだ。

    僕は、数年前から、このままではダメだと思っていた。

    <省略>

    ● 家庭用ビデオの「規格戦争」を見ながら考えた

    <省略>

    ● あえて「敵」同士に売り込む

    <省略>

    ● マイクロソフト・松下電器・ソニー

    <省略>

    一方、統一規格の中身も順調に固まって行った。

    本体のスロットにカートリッジを差し込めば、それだけでワープロとしても使えるし、ゲームで遊ぶこともできる。
    テレビにつなぐこともできる。
    とにかく安くて、誰でもすぐに使えるパソコンを作ることを目指した。
    僕は、「一家に一台」のパソコンができると期待を膨らませていた。
    その後、「大騒動」が勃発することも知らずに……。(つづく)




    https://news.yahoo.co.jp/articles/7ab2ff4f154fc43fe05ca6bba01819a7f8002dff


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    一連のMSX規格には以下が存在する。 MSX MSX2 MSX2+ MSXturboR また上記の規格を元にした以下のMSX動作環境も存在する。 fMSX、ルーMSX、MSXPLAYer、NLMSX、blueMSX、openMSX、WebMSXなどのMSXエミュレーター 1チップMSX Zemmix
    118キロバイト (17,596 語) - 2020年8月13日 (木) 04:51



    (出典 images-na.ssl-images-amazon.com)


    MSX(エム・エス・エックス)とは、1983年に米マイクロソフトとアスキー(現アスキー・メディアワークス)によって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの共通規格の名称であり、MSXとその後継規格であるMSX2(1985年)、MSX2+(1988年)、MSXturboR(1990年)の総称でもある。最初のMSXを便宜上「MSX1」、「初代MSX」と呼ぶこともある。MSXturboRでは16ビットのCPUを採用した。

    複数のメーカーからMSXの仕様に沿って作られたパソコンが発売された。また、各種MSXエミュレーターとMSX2をFPGAで再構成したハードウェアである1チップMSX等が存在する。

    MSXの規格
    一連のMSX規格には以下が存在する。

    MSX
    MSX2
    MSX2+
    MSXturboR
    また上記の規格を元にした以下のMSX動作環境も存在する。

    fMSX、ルーMSX、MSXPLAYer、NLMSX、blueMSX、openMSX、WebMSXなどのMSXエミュレーター
    1チップMSX
    Zemmix FPGA MSX

    1980年代
    1980年代初頭、日本国内におけるホビーユースのパーソナルコンピューター(ホビーパソコン)では主にマイクロソフト社のBASICインタープリタがROMで組み込まれ、システムの中心を担っていた。
    しかし、ハードウェアの設計は同じプロセッサを用いても各々のシステムは大きく異なり、BASICレベルの互換性も、二次記憶装置の取り扱いやフォーマット・ハードウェアの仕様、性能の差異や拡張によって独自の変更が加えられ、俗にBASICの「方言」と呼ばれる非互換の部分が存在し、機種ごとにアプリケーションは作成・販売されていた。

    MSXは単なるパソコンとしてのみならず、当時の大人のマニア向けゲームハードという側面をもつ。
    時には家電品として、時には楽器として、時には当時の「ニューメディア」として分類される。
    それは、MSXが松下電器や日本ビクターなどのように家電品のルートで販売されたり、ヤマハや河合楽器などの楽器店のルートで販売されたり、フィリップスやNTTのキャプテンシステムのようにニューメディアと位置づけて販売されたり、主にゲーム機として利用された事情による。

    そしてMSX参入各社は、他社製品と差別化を図るべくワープロや動画編集など様々な機能を付加したMSXパソコンを発売した。
    しかし大部分の購入者はMSXを単なるゲーム機としか見ておらず、高機能・高価格な機種よりも低機能・低価格な機種を購入したため、参入各社間で価格競争が勃発。
    また他機種のパソコンとの競争も熾烈であり、MSX2が発売された1980年代後半には16ビットや32ビットCPUを採用した、より高性能な他機種の次世代パソコンや家庭用ゲーム機との販売競争に晒されたこともあり、元々参入が少なかった国外メーカーはMSX2で大半が撤退、次の規格であるMSX2+の対応機種を発売したのは日本のメーカー三社のみで、ほぼ日本専用の規格となってしまった。

    1990年代
    1990年には販売台数が全世界累計で400万台を突破。各MSX専門誌には「夢を乗せてMSX 400万台」のキャッチコピーが躍った。

    しかし、この頃よりMSXを取り巻く環境は急速に悪化していき、1990年10月には16ビットCPUを搭載した新規格のMSXturboRがリリースされたものの、参入メーカーは松下電器1社のみとなった。同社の機種は好調なセールスを記録し、翌1991年末にも新機種を投入したが、サードパーティーによるMSX向け商品のリリース数は減少傾向にあり、MSX専門誌は休刊や廃刊が相次ぎ、『MSX・FAN』 (徳間書店インターメディア) のみが形態を変えて細々と発刊を続けた。

    松下電器は1994年に家庭用ゲーム機3DO REALとIBM PC/AT互換機WOODYを発売。MSXの開発部隊は、大半が3DOの開発に移行した。同年に最後のMSX規格対応パソコンである「FS-A1GT」の生産を終了し、翌1995年には出荷も終了した。これをもって日本でのMSX規格は終焉したと世間一般では解釈されている。

    MSXの特徴
    本格的なコンピュータを指向する反面、後述するように参入しやすいよう安価に製造できる設定された基本仕様は同時期のコンピュータとしては発表当時としてもローエンドに位置し、MSX1の時点では半角文字の80カラム(1行80桁)表示も不可能だった。
    また、漢字ROMの仕様はあったものの標準搭載機はごく限られており、漢字の表示に関しても当初は統一仕様が存在しなかった。さらにはフロッピーディスクドライブ(以下FDD)、機種によってはプリンターインターフェースさえもオプション設定で、システムの設計に反して本格的なコンピュータと認識されることは少なかった。
    以上のような基本性能の低さやオプション品の価格などによって、MSX-DOS(CP/M)マシンとして、選択されることは多くなかった。
    最大解像度そのものが低いこともあり、高解像度の画面で長時間使用する際に最低限必要となるRGB出力端子を搭載している機種も少なく、表現力の面でも汎用性を割り切ってゲーム専用に新規で設計された回路で構成されたファミリーコンピュータと比較すると劣っていた。これらのことから、日本国内ではもっぱら「中途半端な子供の玩具」として受け取られていた点は否めない。

    この評価はのちに、表現力を増し、FDDを搭載していれば最低仕様のままでMSX-DOSの動作も可能となるMSX2の登場によって、一時的には解消されることとなる。しかし、その後MSX2の市場は熾烈な低価格化競争に突入し、安価な一体型MSX2マシンが普及したため、最終的に「子供向け」「ゲームマシン」との見方を返上するには至らなかった。

    MSXには安価で広範なメーカーが参入できるという目標があり、「本体が5万円台で買えて、一般家庭に普通にある機器とつなげばシステムとして完成できる」ことが必須だったとされる。このことからMSX1ではその構成に専用品を用いず、その時点で市場に供給されていた利用実績の豊富な既存の汎用半導体製品を採用している。これは堅実ではあるものの、仕様としては平凡なものとなった。

    Wikipediaより抜粋
    https://ja.wikipedia.org/wiki/MSX

    1 XSM :01/12/20 04:27.net

    ゲーム以外に何か使い道あった?。
    でも、当時は欲しくてたまらんかったなあ。


    【『MSX』1983年米MSとアスキーによって提唱されたパソコンの共通規格!80年代当時日本製で最も売れた8ビットパソコン!】の続きを読む

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