ニンテンドー ゲームキューブは、任天堂が2001年に発売した家庭用ゲーム機。略称はゲームキューブキューブ、GC、NGC、GCN。開発コードネームは「Dolphin」。本体および関連製品の型番にはDOLがつけられている。 日本では9月14日、アメリカとカナダでは11月18日、ヨーロッパでは2002年
119キロバイト (12,497 語) - 2021年8月23日 (月) 15:51


2001年9月14日に発売された任天堂の家庭用ゲーム機「ニンテンドーゲームキューブ」は、今年、誕生から20年を迎えました。任天堂の据え置き型ゲームとして、それまでのカセット式から初めてディスク方式を導入し、ソニーの家庭用ゲーム機・PlayStation勢から“ゲーム機の王座奪還”を目指したハードです。

 最終的な出荷数は2174万台。世界的な人気を博したソニーの家庭用ゲーム機「PlayStation2(以下、PS2)」(2000年3月発売)の1億5500万台以上という圧倒的な存在感の前に苦戦する結果になりました。しかしながら、その「次」の世代である「Wii」では任天堂が“王者”復活を果たしており、“その後”を知る現在から見ていくと、「躍進の伏線」がちりばめられていたともいえる存在です。「ゲームキューブ」とはいったい、どんなゲーム機だったのでしょうか。

開発コードネーム「ドルフィン」…ブルーが印象的だったゲームキューブ

 ゲームキューブは、「NINTENDO64」(1996年発売、以下64)の後継機です。開発のコードネームは「ドルフィン」。最初に発売されたモデルの色もブルーが基調でした。立方体の特徴的なデザインで、カセットロムではなく、直径8センチの光ディスクを使用し、ネットワークに接続して遊ぶことも出来ました。コントローラーのデザインも、いまなお高い評価を受けています。

 任天堂は発売当時、ゲームキューブについて「いろいろな楽しさを提供する」と打ち出しました。その言葉通り、家庭用ゲーム機にもかかわらず、持ち運びのしやすいよう取っ手が付いたユニークな本体デザインを採用。また、携帯ゲーム機の「ゲームボーイアドバンス」と連動し、手元にあるゲーム機のモニターを利用して、テレビ画面との二画面を作り出すなどのアイデアもありました。対戦にも力を入れていたように思えます。

 ソフトはと言えば、「マリオ」などの定番はもちろん、不思議な生き物を指揮して戦う「ピクミン」といった従来にないユニークなソフトも登場。「ゼルダの伝説」のグラフィックを大幅かつ大胆に変えた「風のタクト」を世に送り出してヒット作に育てあげ、カプコンの人気ゲーム「バイオハザード」を“ゲームキューブの独占”で発売したことでも話題をさらいました。

 さらに、当時業界を悩ませていたゲーム機の開発費の高騰問題についても、従来より低価格でより容易にソフトが開発できる点をアピールしていました。ゲームハードとしての総合的なデザイン性の高さ、ユーザーに愛されるソフト、開発目線から見た際の問題点の解決と、ゲームキューブはまさに、当時のゲーム機市場でトップを走っていたPlayStation勢に「追いつけ追い越せ」と登場したハードだったのです。

 しかし、結果的にPS2との戦いは厳しいものとなりました。

 ゲームキューブ登場時、市場において任天堂は既にソニーの後塵を拝していました。期待された「64」は投入の遅れとソフト不足に加え、「ファイナルファンタジー」や「ドラゴンクエスト」などのビッグタイトルを失った痛手を被り(当時は現在のように複数のハードから同じタイトルのゲームが出る時代ではありませんでした)、ソニーの初代PSに敗れてファミコン時代からの“業界王座”から陥落していました。

ゲームキューブに課せられた命題は、もちろん“王座”の奪還でした。しかしビジネスで一度失った優位性を取り戻すのは至難の業。任天堂の強気の発言がゲームキューブの発売前後にはメディアに掲載されましたが、1社で市場シェアの7割を占めてしまうほどの圧倒的なPS勢の売れ行きを前に、「とはいえ流石に難しい」というのがほぼ共通の意見だったように思います。実際、2005年の経済誌では総括的にこんな厳しい指摘がなされていました。

 ではユーザー目線ではどうだったでしょう。そのころ学生だったという付き合いのある編集者に、当時のゲームキューブの印象を質問したことがあります。その回答は、「任天堂と“心中”する人が購入していたイメージ」というもの。辛辣な評価ですが、使えるお金の限られていた世代から見た、うまい言い回しでもあると思います。当時、ソフトメーカーの出す有力タイトルの多くは、ほとんどPS2で出ていたので、多くのプレイヤーはPS2でこと足りる状況だったのです。

 任天堂にとって、堅調だった携帯ゲーム機によって業績こそ痛手はカバーされていましたが、ファミコン時代と比べて「頭打ち感」は明白でした。

続きは記事本文へ
https://bunshun.jp/articles/-/48435

1 名無しさん必死だな :2021/09/12(日) 19:09:55.02

「かつての存在感はない」「スーファミにも遠く及ばない」プレステ2に大苦戦したゲームキューブからなぜ“ゲームは変わった”のか《誕生20周年》
https://bunshun.jp/articles/-/48435?page=1

ではユーザー目線ではどうだったでしょう。そのころ学生だったという付き合いのある編集者に、当時のゲームキューブの印象を質問したことがあります。その回答は、「任天堂と“心中”する人が購入していたイメージ」というもの。辛辣な評価ですが、使えるお金の限られていた世代から見た、うまい言い回しでもあると思います。当時、ソフトメーカーの出す有力タイトルの多くは、ほとんどPS2で出ていたので、多くのプレイヤーはPS2でこと足りる状況だったのです。

 任天堂にとって、堅調だった携帯ゲーム機によって業績こそ痛手はカバーされていましたが、ファミコン時代と比べて「頭打ち感」は明白でした


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