糸井 重里(いとい しげさと、1948年11月10日 - )は、日本のコピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家。株式会社ほぼ日代表取締役社長。株式会社エイプ代表取締役。フィールズ株式会社社外取締役。妻は女優の樋口可南子。愛犬はジャック・ラッセル・テリアのブイコ、日本モノポリー協会会長。血液型はA型。身長174cm。
44キロバイト (5,356 語) - 2019年11月30日 (土) 06:50



(出典 renote.jp)



1 muffin ★ :2020/03/19(Thu) 12:29:31 ID:n0zUXmr99.net

https://news.mynavi.jp/article/20200319-999140/

ファッションデザイナー、起業家、インフルエンサーなどマルチに活躍するハヤカワ五味がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「マスメディアン 妄想の泉」。
3月14日(土)の放送は、Webサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰の糸井重里さんが登場しました。

◆「“俺は、つくる側にいなきゃ駄目じゃん”」
大のゲーム好きのハヤカワは、糸井さんが過去に手がけた名作RPG「MOTHER」シリーズ誕生のきっかけに興味津々。第1作目が発売された1989年当時、売れっ子コピーライターとして名を馳せていた糸井さんが、ゲームを手がけることになった理由について、「いろいろな原因があるんだけどね」と笑いつつ、語り始めます。

「僕は、喘息持ちだったから(横に)寝ちゃうと苦しい。それで、ゲームは起き上がってやるから、喘息のためにはゲームって最高に良かったんですよ」と話します。

そして、たまたまRPGの「ドラゴンクエスト」を触ったところ、「どんどん面白くなって……本当に寝ないくらい夢中になってやっていた。でもそのとき、“俺は、つくる側にいなきゃダメじゃん!”と思ったの。特にエンドロールに、自分の名前がないことがすごく寂しかった。“俺だったらもっとこうするのにな”って」と告白。

そんな思いから、自身のアイデアをノートに書き溜めていった糸井さんは、偶然にも別件で任天堂の社長と会う機会があり、「その用事じゃなくて、“これ(ノート)を見せてやれ!”と思って、(社長に会いに)行ったのがきっかけです」と振り返ります。

◆「自分の名前を消して発言したかった」
続いて、1998年に開設した“ほぼ日”こと「ほぼ日刊イトイ新聞」の話題に。当時、「ゲームの制作もまだ続けていたから、常にコンピューターが身近にある場所にいたの。初期インターネットも普及しつつあったけど、アシスタントが、全然知らない人と(ネット上で)情報交換しているのを見て“なんだこれは!?”と思った」と衝撃を受けたそう。

そして、“自分もできるかも”との思いに駆られ、49歳の誕生日に、秋葉原でMacを購入したそう。「仲間たちと、昼間会ったときには話さないことを、夜中にメールでいっぱい出して、みんなが相手をしてくれるのが面白くてたまらなくて。それで、“こういうことってなにか(ほかの方法)でもっとできるな”と思って……。毎年、自分がちょっと思ったことを、年賀状に書いて出していたんだけど、“それを、インターネットでやればいいんだ!”と思ったのが、“ほぼ日”のスタート」と経緯を語ります。

また、それまで“糸井重里”という自身の名前で仕事をしてきましたが、インターネットでは「自分の名前を消して発言したかった」と言います。「“俺のこと知ってね”っていうのはもういい。それよりは、“俺がやっているこのチームを知ってね”と言いたかったし、自慢したくてしょうがなかった。そのための仕組みをつくった」と話します。
続きはソースをご覧下さい


(出典 news.mynavi.jp)


【【ゲーム】糸井重里「俺は作る側にいなきゃダメじゃん!」名作ゲーム「MOTHER」誕生秘話を語る】の続きを読む