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ファミコン世代が喜びそうなゲームネタを中心に、ゲーム、アニメに関わる様々な情報をまとめたブログです。

    カテゴリ:レトロゲーム > レトロゲーム-ハード-


    NINTENDO64(ニンテンドウろくじゅうよん)は、任天堂が開発して1996年に発売した家庭用ゲーム機。スーパーファミコンの後継・次世代機種であり、略称は「64(ロクヨン)」、「N64」。3次元空間を自由に体感できるゲーム機として売り出され、スーパーマリオ64のような自由な操作性を売りにするゲーム
    54キロバイト (5,526 語) - 2020年5月22日 (金) 01:28



    (出典 upload.wikimedia.org)


    NINTENDO64紹介ビデオ

    (出典 Youtube)


    NINTENDO64は、任天堂が開発して1996年に発売した家庭用ゲーム機。スーパーファミコンの後継・次世代機種であり、略称は「64(ロクヨン)」、「N64」。
    3次元空間を自由に体感できるゲーム機として売り出され、スーパーマリオ64のような自由な操作性を売りにするゲームが多数登場した。
    開発当時最高のCGワークステーションメーカーだったシリコングラフィックスの技術提供を受けており、発売から暫くの間、家庭用ゲーム機としては群を抜く性能を誇った。

    2007年10月31日をもってファミリーコンピュータやスーパーファミコンと共に公式修理サポートを終了している。

    1990年代中期に「次世代機」と呼ばれたゲームハードの一つで、任天堂としては初めて本格的な3Dゲームに対応した。メディアは従来と同じくロムカセット式である。
    1993年(平成5年)の開発発表時のコードネームは「プロジェクト・リアリティ」、正式名が決定する以前の海外名称は「ウルトラ64」(日本国内では当時名称未発表)、ユーザー間の通称は「ウルトラファミコン」だった。ファミコンやスーパーファミコン時代は開発第一部や開発第二部がハード開発を行っていたが、NINTENDO64は竹田玄洋が率いる、ROMカートリッジの特殊チップ開発を担当していた開発第三部がハード開発を行った。当時、任天堂はこれと並行して次世代機としてのCD-ROM機を製作。
    上村雅之らによるとほぼ完成していたとされるが、それを没にしての正式発売となった。企画立ちあげ当初は山内溥により「ウルトラファミコン」として発表されていた。PlayStationやセガサターンのようなCD-ROM媒体を用いたゲームは、動画を多用し映画風に進化を遂げていく中で、NINTENDO64]は全年齢に親しまれるようなゲームらしいラインナップが多かった。

    第5世代としては最も後発であり、64ビットCPU・パースペクティブ補正・Zバッファを初めて採用しているなど、他の機種に比べて3Dポリゴンの演算能力と描画品質が高く、1996年(平成8年)当時に存在していた他のゲーム機より大幅に高性能になっている。
    第5世代で唯一、ポリゴン描画で擬似的な手法を用いず、理論的に正しい手法で描画を行ったため、CGワークステーションに近い安定した3次元空間を描画できた。NINTENDO64と同世代のPlayStationはポリゴンを採用したが、座標計算は固定小数点数演算かつZソート法に簡略化されており、セガサターンに至っては四角形スプライトの変形であったため、どちらも理論的に正しい描画方法ではなく、表示の破綻が目に付いた。

    CPUは当時グラフィックスワークステーションメーカーだったシリコングラフィックス (SGI) と提携して開発が行われ、メインにはRISCのMIPS R4300カスタム、32ビットRISCのR3000をコアに持つグラフィックエンジンである「RCP (Reality Co-Processor)」、メインメモリには当時はまだ珍しかった高速なRambus DRAMを採用するなど、先鋭的なハードウェア構成となっている。64ビットのR4300カスタムは最高122MIPSの処理能力を発揮することが可能で、競合機種の一つであるPlayStationの搭載するCPUの約4倍の処理能力にあたる。ポリゴン機能は環境マッピングやトライリニアといった本格的なテクスチャ・マッピング処理にも対応し、スーパーファミコンの35倍もの性能を発揮する。64ビットCPU搭載を売りにしていたが、64ビットモードでは動作クロックが下がる仕様となっているため、殆どのソフトウエアで32ビットモードを用いていた。

    また、「RCP」の描画能力を引き出すためにマイクロコード方式を取り入れた。
    これはプログラミングによってあらかじめハードウエアに実装された機能に、後からプログラミングコードを追加または書き換えることで、開発するソフトウェアの種類に合わせた演算性能の特化を可能にしたものである。例えば、3Dポリゴンの描画性能に特化したマイクロコード(『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』等)や、2Dグラフィックに特化したマイクロコード(『ヨッシーストーリー』等)、演算処理に長けたマイクロコード(『最強羽生将棋』、『F-ZERO X』等)、4人対戦のために4画面同時出力に長けたマイクロコード(『マリオカート64』等)を、メーカーや開発者が独自に開発することが可能だったが、開発の難易度が上がる弊害もあった。

    ハード設計にあたっては、レア社のクリス・スタンパー (Chris Stamper) がコンサルタントとして半年間参加。開発のイニシアチブは任天堂が取っているが、設計提案については大半の75%をSGIが占めた。

    ゲームソフトの供給媒体には、当時主流となりつつあったCD-ROMではなくROMカートリッジを採用している。また、カートリッジにリージョンプロテクトが物理的に施されており、日本国内版ソフトと海外版では背面にあたる形状の一部が異なることで、異なるリージョンのソフトが対応しない本体に刺さらないようになっている。
    ただし、あくまでもカートリッジに施された物理的なプロテクトであり、接続端子は共通のものであったため、非公式の変換アダプタを使用するか本体のカートリッジコネクタにあるカセット形状を判別する部品を外す等を行えば問題なく動作する。一方で、本体にはイジェクトボタンが搭載されてないため、カートリッジを本体から外すには上から手でカートリッジを引き抜く必要がある。


    Wikipediaより
    https://ja.wikipedia.org/wiki/NINTENDO64

    1 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします :2020/01/10(金) 22:38:12.664 ID:+CDhhazi0.net

    拡張パック


    【【ゲーム】『NINTENDO64』プレステ発売の2年後、1996年任天堂よりスーパーファミコンの後継機種として発売!本格的な3Dゲームに対応しつつロムカセット式を継承した家庭用ゲーム機!】の続きを読む


    SG-1000II(エスジーセンツー)は、1984年7月にセガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が発売した家庭用テレビゲーム専用機である。 同社のSG-1000のマイナーチェンジ版。本体が薄型化され、「つなげればホームパソコン」の宣伝文句が象徴するように、別売キーボードのSK-1100を接続
    6キロバイト (744 語) - 2019年12月12日 (木) 10:18



    (出典 www.computinghistory.org.uk)


    SG-1000II(エスジーセンツー)は、1984年7月にセガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が発売した家庭用テレビゲーム専用機である。

    同社のSG-1000のマイナーチェンジ版。本体が薄型化され、「つなげればホームパソコン」の宣伝文句が象徴するように、別売キーボードのSK-1100を接続したときレイアウト的に統一感の出るデザインとカラーになっている。これに合わせる形でSK-1100本体のパッケージ側面に表記されたパソコンシステムの画像がSG-1000IIの画像に変更になっている。

    また標準で2個付属となった専用コントローラ、SJ-150は双方とも着脱式となり、コントローラの形状も変更され、レバー(つまみ)を取り外せばパッド状になり、本体側面に設けられたスペースに格納できる点など、ファミコンのコントローラを意識した形状となった。
    なお、つまみを付けるとパッドがレバーになる仕様は、当初はコントローラを横持ちの他に、従来の縦持ちでも使えるようにした配慮の結果である。初期に流通したSJ-150は方向キーの反応が鈍いという不具合がある。
    末期にはゴム製の楕円形のボタンを樹脂製の丸ボタンに変更したコントローラSJ-151をリリースし、それを同梱した本体も短期間だが流通した。
    先代SG-1000にあったカートリッジスロットの強度不足問題や、一部に存在したマイカードソフトの動作不具合、コントローラ端子の5V供給問題は本機で全て解消されている。

    SG-1000IIもSG-1000同様、幾つかパッケージや本体外装や基板設計が変更されている。外観的には差はわずかで、底面のゴム足が5個、または6個といった具合の変更、同梱のコントローラがSJ-150かSJ-151である位である。ただし内部は基板設計が幾度か大幅に変更されている。

    主な相違点を挙げると、

    先代SG-1000と同じパーツ構成のV-RAMに2KiB D-RAMが8つ搭載されているタイプ
    V-RAMを8KiB×2に変更しパーツ点数を大幅に減らしたタイプ
    VDPとSOUNDを統合したSEGA 315系カスタムチップを搭載したタイプ
    が存在している。

    なお、セガカスタムチップ搭載機種に限り、要改造ではあるがRGB映像出力が可能である。一部ロットのパッケージや本体購入時に同梱されているチラシには赤いゴムボタンのSJ-150を装備したSG-1000IIが使用されている[4]が、これは撮影用に着色されたタイプで一般には流通していない。

    後継機のセガ・マークIII発売後は、当機が「マークII」と呼称される事もあるが正確な名称ではない。

    仕様
    CPU Z80A(3.58MHz)
    RAM 1KiB
    V-RAM 16KiB
    同時表示色数 : 15色 + 1色
    スプライト : 8 × 8ドット
    サウンド機能:SN76489(PSGと機能はほぼ等価。ハードウェアによるエンベロープが無い反面、ノイズの出力をトーン出力と独立して制御可能になっている)
    ジョイパッド接続端子2個 パッド2個付属
    ポーズボタン 本体に設置、ゲーム一時停止 / 再開用
    ROMカートリッジスロット1個
    拡張用スロット1個 外付けキーボードSK-1100等の接続に使用

    Wikipediaより

    1 Absolutely ★ :2020/02/01(土) 23:50:14 ID:GOzNTpV39.net


    (出典 sega.jp)


    やむなく買った『SG-1000 II』 初代『ファミコン』ブーム中、独自の存在感

    出会いは「ファミコンの代わりに」と勧められ

    「ファミリーコンピュータ」(以下、ファミコン)が家庭用ゲーム機市場で大きなシェアを占めていた1980年代半ば、セガ・エンタープライゼス(現:セガゲームス)も数機種の家庭用ゲーム機を発売し、独特の存在感を放っていました。まだ家庭用ゲーム機の情報を手に入れる手段がほとんどない時代、「ファミコン」の代わりに「SG-1000 II」を買ってもらったライターの早川清一朗さんが、当時の思い出を語ります。

    * * *

    「SG-1000 II」を買った時、自分と母親は間違いなく疲れていました。ファミコンが、どこに行っても手に入らなかったのです。

     1983年に任天堂が世に送り出した「ファミコン」は、ほどなく人気が爆発し、どこに行っても手に入らないという状況となっていました。どうしても「ファミコン」が欲しくて仕方がなかった当時の筆者は母親にねだりまくり、なんとか買ってもらう約束を取り付けましたが、肝心の物がないのではどうしようもありません。

     どのくらい探し回ったのかはもう忘れてしまいましたが、あるおもちゃ店に行ったとき、店員さんに「ファミコンと似たようなのがありますよ」と勧められたのが「SG-1000 II」でした。当時はインターネットどころかゲームの情報誌すらほとんど存在しておらず、小学生が家庭用ゲーム機やソフトの内容を事前に調べる方法はほとんどありません。ファミコンを探すことに疲れていた筆者は「それならこれでいい」と、「SG-1000II」を買ってもらい帰宅しました。その後、約40年にわたりさまざまなゲーム機を購入し続けた筆者にとって、記念すべき第一号のマシンになるとは、あのときは想像もしませんでした。

     本体と一緒に買ってもらったカセットは『チャンピオンサッカー』だったことを覚えています。どうしてこのカセットを選んだのかは覚えていませんが、何しろ並んでいるカセットのどれもこれも、どんなゲームなのかさっぱり分からないのです。たぶんサッカーという知っている単語が入っているからこれにしたのだと思います。

    左手の親指にマメができるまでやりこんだ「SG-1000 II」

    自宅に帰ってゲームができるという環境をもたらした存在(画像:写真AC)
    「ファミコン」ではありませんが、家庭用ゲーム機を買ってもらえたのは小学生にとっては一大事です。ひたすらに目の前にある『チャンピオンサッカー』をやりまくりました。「SG-1000 II」のコントローラーには別付けのツマミがあり、最初はそれを付けて操作していたのですが、ツマミに親指を押しあてていたためすぐにマメができてしまったのをよく覚えています。ツマミを外しても操作できると気付いてからはすぐに外してしまいました。

    全文はこちら
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200201-00010000-magmix-game


    【【ゲーム】『SG-1000 II』1984年セガ・エンタープライゼスが「ファミコン」発売の翌年、SG-1000のマイナーチェンジ版として発売した家庭用据置型ゲーム機!】の続きを読む


    PCエンジンスーパーグラフィックス (PC Engine SuperGrafx) とは、1989年12月8日に日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)より発売された家庭用ゲーム機。PCエンジンの上位互換機。当時のメーカー希望小売価格は39,800円。
    10キロバイト (1,117 語) - 2019年12月20日 (金) 04:36



    (出典 upload.wikimedia.org)


    PCエンジンスーパーグラフィックス

    1989年の年末商戦前のPCエンジンの販売戦略リニューアルの際に発表された。高スペックを売りにしており、PCエンジンと比較してスプライト及びバックグラウンドの表示が2倍、それに合わせて搭載メモリ容量を増量している。
    本体は自動車のエンジンをイメージした様な形状でサイズは従来機の3倍以上になる。
    しかし発売された専用ソフトが5本に両対応ソフトが1本と少数に留まり、この機種に応じた市場を形成することはできなかった。

    結果としてこの路線はその後のPCエンジンには反映されなかった。

    CPUおよび音源などのスペックはPCエンジンと同一の物
    CPU:HuC6280(クロック:7.16MHz 音源内蔵)
    音源:波形メモリ6音~波形メモリ4音+ノイズ2音
    メモリ:メインRAM32KB/VRAM128KB
    同時発色数:最大512色
    スプライト:一画面中に最大128個、横方向へ16×16のサイズを最大32個表示可能
    BG(背景):2画面
    HuC6202:2個のビデオチップから送られてくるビデオデータ信号を1つに合成して出力

    Wikipediaより

    1 名無し募集中。。。@\(^o^)/ :2017/07/09(日) 19:03:57.80 0.net

    なんとなくゲーセンの移植とかだとスパグラのほうが上な気が
    スパグラは色数は倍にはなってないだっけ


    【【ゲーム】『PCエンジンスーパーグラフィックス』1989年グラフィック機能を強化して発売されたPCエンジンの上位互換機!ただ専用ソフトが5本のみ】の続きを読む


    ネオジオポケット(NEOGEO POCKET)とは、SNK(旧社)が発売した携帯型ゲーム機。略称「NGP」、「ネオポケ」。 ネオジオポケット - 1998年10月28日発売 ネオジオポケットカラー - 1999年3月19日発売 カラー液晶を搭載。 (NEW)ネオジオポケットカラー - 1999年10月21日発売
    13キロバイト (1,617 語) - 2019年11月12日 (火) 11:28



    (出典 images-na.ssl-images-amazon.com)


    ネオジオポケット - 1998年10月28日発売
    ネオジオポケットカラー - 1999年3月19日発売
    カラー液晶を搭載。
    (NEW)ネオジオポケットカラー - 1999年10月21日発売
    ネオジオポケットカラーの小型・廉価化。

    対戦格闘ゲームの雄だったSNKが生み出しただけあり、作品も対戦型格闘ゲームが中心だった。

    一般のゲーム機の十字キーに相当する部分はメカニカルスイッチを利用したジョイスティックで、コマンド入力のし易さや親指への負担軽減に一役買っていた。このジョイスティックが評価され、ネオジオポケットは1998年グッドデザイン賞を受賞している

    Wikipediaより

    1 NAME BOY :2009/08/23(日) 19:42:40 ID:Kl2/HIje.net

    俺は持ってないけど語ろう


    【【ゲーム】『ネオジオポケット』1998年、SNKより十字キーにジョイスティックを採用し操作性を向上させ、グッドデザイン賞を受賞した携帯型ゲーム機!キャッチコピー「I'm not BOY」は印象的】の続きを読む


    ファミリーコンピュータ)が発売された。 この名称は他のゲーム機ではすでに主流となっていたコンポジットビデオ出力によるテレビ接続が可能となったことに由来する。製品の箱には AV仕様ファミコンの略称が記載された。さらにテレビCMで用いられたニューファミコンの通称もあり、一般にはこの名で呼ばれることが多い。
    101キロバイト (13,410 語) - 2019年11月2日 (土) 10:10



    (出典 bottlepets.jp)


    AV仕様ファミリーコンピュータ

    AV仕様ファミリーコンピュータ用RFモジュレータ (HVC-103)
    1993年(平成5年)12月1日には新型機AV仕様ファミリーコンピュータ(エーブイしようファミリーコンピュータ)が発売された。

    この名称は他のゲーム機ではすでに主流となっていたコンポジットビデオ出力によるテレビ接続が可能となったことに由来する。製品の箱には AV仕様ファミコンの略称が記載された。さらにテレビCMで用いられたニューファミコンの通称もあり、一般にはこの名で呼ばれることが多い。

    当初は10月をメドに発売される予定だったが、RF出力からビデオ出力への仕様変更により延期された。北米にて先行発売されたNES2では逆にAV出力が省かれ、RF出力のみとされた。

    AV仕様ファミリーコンピュータはコストダウンを図った廉価機として発売されたものの、ディスクシステムなど従来の周辺機器がほぼ全て使用でき、取り扱いも容易となったことからレトロゲームの愛好者からは珍重された。中古市場ではAV仕様ファミリーコンピュータの方が台数が少なく高値な場合が多い。

    Wikipediaより

    1 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします :2019/07/24(水) 20:21:05.222 ID:QdcTT+Li0.net

    RF端子とか知らんけど、それから地デジ化するまで…いや地デジ化しても使えるRCA(三色)端子を搭載していて、
    初代はコストカットのためにコントローラーを着脱式にしていなかったのを改善したのに、何であまり普及していないの?
    2コンのマイクだってセレクトボタンで処理しているんでしょ?


    【【ゲーム】『AV仕様ファミリーコンピュータ』1993年、ファミコン廉価機として発売、接続が簡単で従来の周辺機器がほぼ全て利用可能なためレトロゲーム愛好者から珍重されるハードに!】の続きを読む

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