ゲーマーズROOM

ファミコン世代が喜びそうなゲームネタを中心に、ゲーム、アニメに関わる様々な情報をまとめたブログです。

    カテゴリ:レトロゲーム > レトロゲーム-ハード-


    スーパーファミコン(SUPER Famicom)は、任天堂より日本では1990年11月21日に発売されたファミリーコンピュータの後継機である家庭用ゲーム機。本項では欧米版「Super Nintendo Entertainment System」、韓国版「スーパーコンボイ」、復刻版「ニンテンドークラシックミニ
    58キロバイト (6,776 語) - 2020年10月20日 (火) 08:11



    (出典 otonmedia.jp)


    スーパーファミコン(SUPER Famicom)は、任天堂より日本では1990年11月21日に発売されたファミリーコンピュータの後継機である家庭用ゲーム機。

    型番はSHVC-001(SHVCはSuper Home Video Computerの略)。雑誌やマリオカートシリーズにおける『スーパーマリオカート』のリメイク作品のハード通称などでよく見られる略記・略称はSFC、スーファミなど。欧米では“Super Nintendo Entertainment System”(スーパーニンテンドーエンターテインメントシステム、略称:Super NES、またはSNES)として発売された。

    ハードウエアのスペックとしては、16ビットCPU の搭載、32,768色(15bpp)から選択可能な16色のカラーパレットと、それらのカラーを適用可能な16色スプライト、一画面あたり最大128個のスプライト同時表示、背景の多重スクロールと回転・拡大・縮小表示機能、ソニーのDSPによるPCM音源の採用など、カタログスペックとしては同時代の一線級のものを取り揃えている。これによりファミリーコンピュータと比べ、表示や音源の処理能力が格段に向上した。

    コントローラは本体に2個同梱される附属品となり、本体前面に2つ設けられているコントローラコネクタに接続する方式となった。I・IIコントローラの区別はなくなり、コントローラの右側にあるボタンはA・B・X・Y(A Button・ B Button・X Button・Y Button)の4つとなり、上部の左右にはL・Rボタン(L Trigger・R Trigger)が追加された。内蔵マイクは廃止された。またコントローラコネクタは拡張端子の役割も兼ねていたため、ここに接続する様々な周辺機器も発売された。

    カセット差し込み口のシャッターは、ファミリーコンピュータ時代の手動式からスプリングによる自動開閉式に変更された。カセットを差し込む動きでシャッター部分が本体内部側へと倒れ、抜き出すと元に戻る。また電源スイッチを入れるとカセット差込口内部にツメが出る機構が備えられており、カセット前面下部のくぼみを引っかけロックするようになっている。これによって電源スイッチを入れたままカセットを抜き差しすることはできなくなった。イジェクトレバーはボタン式に変更された。通電時には電源ランプが点灯する。

    カセット接続端子は中央部と両端部とに分かれており、ソフトによって使われ方が異なっている(カセットの項目を参照)。

    ACアダプタ、RFスイッチ、75Ω/300Ω変換器はファミリーコンピュータと共通で、スーパーファミコン本体とは別売りであった。RCAピンジャックやS端子を備えたテレビの場合は別売りの専用ケーブルにより接続することも可能であった。

    2007年10月31日をもって、スーパーファミコン、NINTENDO64などの「公式修理サポート」を終了した。スーパーファミコンで発売された一部のゲームはWii・Wii U・Newニンテンドー3DSの配信サービスであるバーチャルコンソールや、スーパーファミコン Nintendo Switch Onlineでプレイすることができる。2020年現在は、新たにソフトが販売されることはなくなっているが、復刻版が発売されたことによりハードオフなど中古ショップにて本体及びソフトが再び販売されるようになった。人気を博した一部のキラーソフトなどは1000円以上もの価格がつくこともある。


    仕様
    CPU: 5A22 65C816互換, カスタム 16bit
    クロック周波数: 1.79MHz、2.68MHz、3.58MHzの三段階切替え(入力21.47727 MHz)
    RAM: 128KB DRAM
    グラフィック: S-PPU1およびS-PPU2(生産途中からPPUのワンチップ化や、S-CPUとのワンチップ化もあり)
    RAM: 64KB SRAM(VRAM、スプライトデータ、カラーパレットデータ)
    解像度: ノンインターレース256×224, 512×224, 256×239, 512×239 / インターレース512×448, 512×478
    画面: スプライトとバックグラウンド(BG)面最大4枚
    BGキャラクターサイズ: 32×32 - 128×128
    BG領域: 最大1,024×1,024(内部)
    色: 32,768色中から選択
    BG面の枚数と発色数の組み合わせをモード0 - 7から選択。モードにより各BG面は4色、16色、256色から8パレットまで設定可
    スプライト: 1画面中に最大128枚、横制限32枚。16色8パレットまで設定可。サイズ8×8、16×16、32×32、64×64からゲーム中に2つまでを設定可。縦反転・横反転表示可
    特殊エフェクト: BG面拡大縮小回転(1軸)、半透明、モザイク、ウインドウ、ラスター
    2軸回転はラスターとの組み合わせによる
    音源チップ: S-DSP(DSP)および 制御用S-SMP(SPC700コア) クロック周波数1.024 MHz(入力24.576 MHz) ソニー製
    RAM: 64KB SRAM(S-DSPに接続)
    サンプリング周波数: 32kHz
    同時発音数: 8チャンネル
    16bit PCM音源 ステレオ(ADPCM)
    メディア: カートリッジ式
    AV出力: RGB21ピン/S端子/ビデオ/RF
    拡張コネクタ
    外形寸法: 200mm(幅)×242mm(奥行き)×72mm(高さ)
    重量: 約600g

    Wikipediaよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%82%B3%E3%83%B3
    1 朝一から閉店までφ ★ :2020/11/21(土) 10:47:41.58 ID:A0EDPCve9.net

    2020-11-21 08:00:00

    ゲーム史に名を残す数々のゲーム機の中から今日発売されたゲームハードを紹介!


    11月21日のゲームハードピックアップ!

    祝30周年 1990年 11月21日発売
    任天堂
    スーパーファミコン

    (出典 s3-ap-northeast-1.amazonaws.com)




    本日はこちら『スーパーファミコン』が発売30周年を迎えました!
    ファミリーコンピュータの後継機であり、ファミリーコンピュータの愛称であった「ファミコン」を名称に取り入れたゲームハード。8bitから16bitに進化し、グラフィックも綺麗になり、ゲームも大ボリューム化され、RPGなどではセーブ機がほとんどのタイトルで採用されるなど、大幅に遊びやすくなりました。また、本日は同日発売である、スーパーマリオワールド&F-ZERO等の任天堂のメジャータイトルも発売され、同じく29周年になります。

    2017年には小型化された「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」も発売されています。


    (出典 s3-ap-northeast-1.amazonaws.com)


    https://gamedrive.jp/news/1600692440


    【【ゲーム】『スーパーファミコン』1990年に任天堂からファミコンの後継機として表示や音源の処理能力を格段に向上させ発売された家庭用ゲーム機!発売されたソフトは1,388タイトル】の続きを読む


    ワンダーメガ(HWM-5010) メガCD一体型のメガドライブ。MIDI出力、S端子などを備える。CDドライブはトップローディングだが、開閉は電動式。1992年4月24日発売。価格:79,800円。 マルチメガ メガCD一体型のメガドライブ。国内では未発売。海外では1994年発売。 メガジェット
    66キロバイト (8,437 語) - 2020年7月5日 (日) 12:49



    (出典 www.sankei.com)


    メガドライブ (MEGA DRIVE) は、セガ・エンタープライゼスが1988年10月29日に日本で発売した16ビットの家庭用ゲーム機である。

    概要
    メガドライブは、セガ・マークIIIおよびマスターシステムの後継機として企画された家庭用ゲーム機。日本では任天堂のスーパーファミコンやNEC HEのPCエンジンと競合していた。
    世界市場や北米市場では任天堂のSNESと互角の戦いを繰り広げ、更にAtari Jaguarや3DOとも競合した。欧州市場ではAmiga CD32などと熾烈なシェア競争を繰り広げた。
    メガドライブの名称の由来は、当時使っていた容量1Mビットのカートリッジをドライブするというものであった。
    発売時のキャッチコピーは「時代が求めた16ビット」「VISUAL SHOCK! SPEED SHOCK! SOUND SHOCK!」。
    このゲーム機には用途別に2つのCPUが搭載されている。

    レッドブル・ミュージックアカデミーが配信した日本のゲーム音楽に焦点を当てたドキュメンタリー『ディギン イン ザ カーツ』 (DIGGIN' IN THE CARTS) のエピソード4「クール・キッズ」で『ベア・ナックル 怒りの鉄拳』をはじめとしたメガドライブやセガのゲームミュージックを特集しており、古代祐三などにインタビューが行われている。

    アメリカのスミソニアン美術館で開催された「The Art of Video Games」展では『Sonic CD』『Phantasy Star 千年紀の終わりに』などが展示された。アメリカの Strong National Museum of Play がゲーム業界や大衆文化・社会に影響を与えたゲームの認知向上を目的にした「World Video Game Hall of Fame(ビデオゲームの殿堂)」の第2回目では日本から『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』他2作品(『ゼルダの伝説』、『スペースインベーダー』)が選出された


    Wikipediaよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96
    1 朝一から閉店までφ ★ :2020/10/29(木) 17:44:03.11 ID:CAP_USER9.net

    2020-10-29 08:00:00

    ゲーム史に名を残す数々のゲーム機の中から今日発売されたゲームハードを紹介!




    10月29日のゲームハードピックアップ!

    祝32周年 1988年 10月29日発売
    セガ
    メガドライブ

    (出典 s3-ap-northeast-1.amazonaws.com)




    本日はこちら『メガドライブ』が発売32周年を迎えました!
    セガがセガ・マークIII及びマスターシステムの後継機として開発した16bitゲームハード。発売時のキャッチコピーは「時代が求めた16ビット」。ローンチタイトルは『スペースハリアーII』『スーパーサンダーブレード』の2本。非常に高い拡張性を備えており、後に発売されていく周辺機器を接続していくことで、通称「メガドラタワー」と呼ばれる形態まで拡張することができます。

    また、2019年9月19日には「メガドライブミニ」が発売されています。

    https://gamedrive.jp/news/1600346605


    【【ゲーム】『メガドライブ』1988年セガ・エンタープライゼスから発売された家庭用ゲーム機!キャッチコピーは「時代が求めた16ビット」海外ではスーファミ売上を凌ぐエリアも】の続きを読む


    セガマークIIIセガマークスリー、SEGA MarkIII)は、1985年10月20日にセガ・エンタープライゼスより発売された家庭用ゲーム機。流通用の型番はSG-1000M3。 SC-3000シリーズ(SG-1000/SG-1000II)やオセロマルチビジョンとの互換性を維持しつつ、同時発色
    19キロバイト (2,114 語) - 2020年10月19日 (月) 23:58



    (出典 frogcube.net)


    セガ・マークIII(セガ・マークスリー、SEGA MarkIII)は、1985年10月20日にセガ・エンタープライゼスより発売された家庭用ゲーム機。流通用の型番はSG-1000M3。

    SC-3000シリーズ(SG-1000/SG-1000II)やオセロマルチビジョンとの互換性を維持しつつ、同時発色数、スプライト、スクロール機能などを強化したゲーム機である。接続端子はSC-3000シリーズにあったものの他に、マイカード専用スロットが追加された。

    開発にあたっては、当時稼働していたアーケード基板『セガ・システム2』のゲームが見劣りなく移植できる程度の性能を目標とされた。発色数などで任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)を上回る部分もあったが、ファミコンの爆発的な普及、サードパーティー制導入の遅れによるソフトラインナップの偏りにより、劣勢を覆すには至らなかった。

    日本国外では外装を変更し「Sega Master System」の名称で販売された。

    マークIIIがまだ開発中だった頃の日本は1983年に発売されていたファミコンが普及しはじめていた時期であり、主な競合機としてはセガが従来機SG-1000のマイナーチェンジモデルSG-1000IIを展開していたほか、同時期には一部の機能でファミコンを凌駕する性能を持つエポック社のスーパーカセットビジョンも登場した。
    この時点でセガはハードウエア性能で後れを取ったが、1985年10月のマークIIIの登場によりファミコンに比肩する性能をもつ家庭用ゲーム機を市場に投入する形となる。
    この頃は任天堂・セガ・エポック社の3社が時代を作ったと言われるが、その後のファミコンの爆発的な普及に伴い、これらの競合機は最後発のマークIIIを除いて1987年頃までにほぼ収束。
    1987年10月にPCエンジンが発売されるまでマークIIIがほぼ唯一のファミコン対抗機となった。
    発売から2年後の1987年10月にはFM音源と連射装置などを内蔵したマイナーチェンジ機のセガ・マスターシステムを発売。アメリカではシェアが10%程度で、ファミコンの日本国外版であるNintendo Entertainment System(NES)が市場の90%を占めてほとんど普及しなかった。
    ヨーロッパではかなり健闘し、ほぼ二分するほどの普及を見せたが、市場が小さく、世界シェアでは9.1%にとどまった。
    韓国やブラジルでも市場を開拓した。
    SG-1000からのセガの8ビットゲーム機の1992年までの累計は780万台。日本を含む台湾、韓国、香港などのアジアで150万台、アメリカで180万台、ヨーロッパで350万台という内訳である[8]。一方、ファミコンは累計で6,191万台を販売した。

    当時セガの社長の中山隼雄は8ビット世代での敗因として、それまで家庭用ビジネスをしてきた任天堂と家庭用ビジネスをしてこなかったセガとの差、セガは業務用が主体で任天堂のように家庭用への絞り込みをしなかったこと、任天堂が独走して任天堂神話を確立したことを挙げている。

    マークIIIと同性能のアーケード基板もあり、『ファンタジーゾーンII』などが逆移植された。セガ直営店などでは日本未発売の光線銃使用ソフト等が5種類プレイ可能な筐体が設置され、中には『北斗の拳』の日本国外版のタイトルである『ブラックベルト』が入っているものも存在した。


    仕様
    CPU: NEC uPD780C-1(Z80A相当品) 3.579545MHz
    RAM: 8KiB
    VRAM: 16KiB
    画像表示LSI(VDP)はTMS9918上位互換ヤマハ製315-5124
    画面表示: 256 × 192ドット(8 × 8ドットのBGキャラクターが32 × 24)、BGキャラクターのパターン数は仕様上は最大512。ただし、テキストやスプライトの表示用にもVRAMを使用するため、実際に定義できる個数はそれより少ない。
    色数 : BG面・スプライトとも、64色中の16色1パレットずつ
    スプライト: 8 × 8ドット、8 × 16ドット、最大64個、横1ラインに8個まで同時表示可能
    ハードウェアスクロール機能あり
    サウンド機能:(SN76489相当、矩形波3ch + ノイズ 1ch)315-5124に内蔵。
    ジョイパッド: 接続端子2個、パッド2個付属(写真は初期モデル付属のもの、後期モデルはパッド上下左右の他斜めにも突起があり中央のネジ穴にカバーがある)
    大きさはファミリーコンピュータのコントローラより若干小さめで、操作キーは四角に近い形になっており、真ん中にはなだらかな窪みがあり、指が置きやすくなっている。押した入力とは違った方向にキーが入ることが時々ある。ジョイスティックにすると若干緩和された。二つの押しボタンについては、どちらが1、START 、2かは明記されていない。SG-1000のジョイスティックより連打し易くなっている。
    ポーズボタン: 本体に設置、ゲーム一時停止 / 再開用
    ROMカートリッジスロット、マイカードスロット: 各1個 マイカードスロットは3-Dグラス使用時の3-Dアダプタ接続にも使用
    拡張用スロット: 1個 外付けキーボードSK-1100、FM音源パック等の接続に使用
    映像出力: 本体背面のRF端子よりRF出力の他に、DIN(8PIN)コネクタより別売のAVケーブルでビデオ出力が可能である。また公式には非対応であるがRGB信号が出力されているため、別途RGBケーブルを作成することによりRGB出力が可能となる。ただし信号が弱いためブースター回路が別途必要。


    Wikipediaより
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AFIII

    1 朝一から閉店までφ ★ :2020/10/20(火) 08:44:27.88 ID:CAP_USER9.net

    2020-10-20 08:00:00

    ゲーム史に名を残す数々のゲーム機の中から今日発売されたゲームハードを紹介!



    10月20日のゲームハードピックアップ!

    祝35周年 1985年 10月20日発売
    セガ
    セガ・マークIII

    (出典 s3-ap-northeast-1.amazonaws.com)





    本日はこちら『セガ・マークIII』が発売35周年を迎えました!
    SC-3000シリーズなど、従来機と互換性を保ちつつグラフィック機能を強化したセガの家庭用ハード。同時発売ソフトは「テディボーイブルース」と「ハングオン」の2タイトル。ファミコンの同時発色数が25色であったのに対して、本機では64色とグラフィック面で大きく差をつける性能を見せたものの、ファミコン発売から既に2年が経過しており普及も進んでいたことから販売台数は伸び悩んでしまいました。

    FM音源を追加できるサウンドユニットや、テレビとゲーム機をワイヤレス接続できるテレコンパック、タブレットを使ってテレビでお絵かきができるものなど、当時としてはユニークな周辺機器が多いゲームハードでもあります。

    https://gamedrive.jp/news/1600345166


    【【ゲーム】『セガ・マークIII』ファミコン発売開始から2年後の1985年にセガ・エンタープライゼスより発売された家庭用ゲーム機!同時発色数はファミコンよりも上】の続きを読む


    SF1(エスエフワン)は、シャープが製造・販売した、任天堂スーパーファミコンの機能を内蔵するブラウン管テレビ。1990年(平成2年)12月5日発売。 以下の形式が発売された(価格は税抜き)。 14G-SF1(14型)10万円 21G-SF1(21型)13万3,000円
    3キロバイト (229 語) - 2020年9月19日 (土) 12:25



    (出典 dime.jp)


    SF1(エスエフワン)は、シャープが製造・販売した、任天堂スーパーファミコンの機能を内蔵するブラウン管テレビ。1990年(平成2年)12月5日発売。

    以下の形式が発売された(価格は税抜き)。

    14G-SF1(14型)10万円
    21G-SF1(21型)13万3,000円
    ボディはグレーで、画面の上にロムカセット差込スロットがある。2つのボタンを同時に押すと、リモコン操作でリセットできる。「ゲーム」用の画質が設定されている。また電源コードとコントローラ以外のケーブルが露出していない。スーパーファミコンとは内部でS端子接続されており、画質は鮮明である。

    14型の場合、付属コントローラーのコード長が普通の本体についているものと同じだが、21型はコードが長い。そのためマウスなどには社外品の延長ケーブルを併用することを推奨する。音声はモノラルであり、外部入力も1系統のみの対応であるため、ステレオ音声でのプレイはできない。

    拡張端子とAV端子は、本体上のスーパーファミコン部の背面に斜め上に向かって付いており、ほこりを防ぐカバーが付いている。RF端子とチャンネル切替スイッチはない。

    Wikipediaより
    https://ja.wikipedia.org/wiki/SF1

    1 名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/05/20(金) 20:15:49

    テレビにSFCのソフト差込口があるテレビ
    持ってる奴いる?


    【【ゲーム】テレビとスーファミが合体してるブラウン管テレビ!シャープ「SF1」】の続きを読む


    一連のMSX規格には以下が存在する。 MSX MSX2 MSX2+ MSXturboR また上記の規格を元にした以下のMSX動作環境も存在する。 fMSX、ルーMSX、MSXPLAYer、NLMSX、blueMSX、openMSX、WebMSXなどのMSXエミュレーター 1チップMSX Zemmix
    118キロバイト (17,596 語) - 2020年8月13日 (木) 04:51



    (出典 images-na.ssl-images-amazon.com)


    MSX(エム・エス・エックス)とは、1983年に米マイクロソフトとアスキー(現アスキー・メディアワークス)によって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの共通規格の名称であり、MSXとその後継規格であるMSX2(1985年)、MSX2+(1988年)、MSXturboR(1990年)の総称でもある。最初のMSXを便宜上「MSX1」、「初代MSX」と呼ぶこともある。MSXturboRでは16ビットのCPUを採用した。

    複数のメーカーからMSXの仕様に沿って作られたパソコンが発売された。また、各種MSXエミュレーターとMSX2をFPGAで再構成したハードウェアである1チップMSX等が存在する。

    MSXの規格
    一連のMSX規格には以下が存在する。

    MSX
    MSX2
    MSX2+
    MSXturboR
    また上記の規格を元にした以下のMSX動作環境も存在する。

    fMSX、ルーMSX、MSXPLAYer、NLMSX、blueMSX、openMSX、WebMSXなどのMSXエミュレーター
    1チップMSX
    Zemmix FPGA MSX

    1980年代
    1980年代初頭、日本国内におけるホビーユースのパーソナルコンピューター(ホビーパソコン)では主にマイクロソフト社のBASICインタープリタがROMで組み込まれ、システムの中心を担っていた。
    しかし、ハードウェアの設計は同じプロセッサを用いても各々のシステムは大きく異なり、BASICレベルの互換性も、二次記憶装置の取り扱いやフォーマット・ハードウェアの仕様、性能の差異や拡張によって独自の変更が加えられ、俗にBASICの「方言」と呼ばれる非互換の部分が存在し、機種ごとにアプリケーションは作成・販売されていた。

    MSXは単なるパソコンとしてのみならず、当時の大人のマニア向けゲームハードという側面をもつ。
    時には家電品として、時には楽器として、時には当時の「ニューメディア」として分類される。
    それは、MSXが松下電器や日本ビクターなどのように家電品のルートで販売されたり、ヤマハや河合楽器などの楽器店のルートで販売されたり、フィリップスやNTTのキャプテンシステムのようにニューメディアと位置づけて販売されたり、主にゲーム機として利用された事情による。

    そしてMSX参入各社は、他社製品と差別化を図るべくワープロや動画編集など様々な機能を付加したMSXパソコンを発売した。
    しかし大部分の購入者はMSXを単なるゲーム機としか見ておらず、高機能・高価格な機種よりも低機能・低価格な機種を購入したため、参入各社間で価格競争が勃発。
    また他機種のパソコンとの競争も熾烈であり、MSX2が発売された1980年代後半には16ビットや32ビットCPUを採用した、より高性能な他機種の次世代パソコンや家庭用ゲーム機との販売競争に晒されたこともあり、元々参入が少なかった国外メーカーはMSX2で大半が撤退、次の規格であるMSX2+の対応機種を発売したのは日本のメーカー三社のみで、ほぼ日本専用の規格となってしまった。

    1990年代
    1990年には販売台数が全世界累計で400万台を突破。各MSX専門誌には「夢を乗せてMSX 400万台」のキャッチコピーが躍った。

    しかし、この頃よりMSXを取り巻く環境は急速に悪化していき、1990年10月には16ビットCPUを搭載した新規格のMSXturboRがリリースされたものの、参入メーカーは松下電器1社のみとなった。同社の機種は好調なセールスを記録し、翌1991年末にも新機種を投入したが、サードパーティーによるMSX向け商品のリリース数は減少傾向にあり、MSX専門誌は休刊や廃刊が相次ぎ、『MSX・FAN』 (徳間書店インターメディア) のみが形態を変えて細々と発刊を続けた。

    松下電器は1994年に家庭用ゲーム機3DO REALとIBM PC/AT互換機WOODYを発売。MSXの開発部隊は、大半が3DOの開発に移行した。同年に最後のMSX規格対応パソコンである「FS-A1GT」の生産を終了し、翌1995年には出荷も終了した。これをもって日本でのMSX規格は終焉したと世間一般では解釈されている。

    MSXの特徴
    本格的なコンピュータを指向する反面、後述するように参入しやすいよう安価に製造できる設定された基本仕様は同時期のコンピュータとしては発表当時としてもローエンドに位置し、MSX1の時点では半角文字の80カラム(1行80桁)表示も不可能だった。
    また、漢字ROMの仕様はあったものの標準搭載機はごく限られており、漢字の表示に関しても当初は統一仕様が存在しなかった。さらにはフロッピーディスクドライブ(以下FDD)、機種によってはプリンターインターフェースさえもオプション設定で、システムの設計に反して本格的なコンピュータと認識されることは少なかった。
    以上のような基本性能の低さやオプション品の価格などによって、MSX-DOS(CP/M)マシンとして、選択されることは多くなかった。
    最大解像度そのものが低いこともあり、高解像度の画面で長時間使用する際に最低限必要となるRGB出力端子を搭載している機種も少なく、表現力の面でも汎用性を割り切ってゲーム専用に新規で設計された回路で構成されたファミリーコンピュータと比較すると劣っていた。これらのことから、日本国内ではもっぱら「中途半端な子供の玩具」として受け取られていた点は否めない。

    この評価はのちに、表現力を増し、FDDを搭載していれば最低仕様のままでMSX-DOSの動作も可能となるMSX2の登場によって、一時的には解消されることとなる。しかし、その後MSX2の市場は熾烈な低価格化競争に突入し、安価な一体型MSX2マシンが普及したため、最終的に「子供向け」「ゲームマシン」との見方を返上するには至らなかった。

    MSXには安価で広範なメーカーが参入できるという目標があり、「本体が5万円台で買えて、一般家庭に普通にある機器とつなげばシステムとして完成できる」ことが必須だったとされる。このことからMSX1ではその構成に専用品を用いず、その時点で市場に供給されていた利用実績の豊富な既存の汎用半導体製品を採用している。これは堅実ではあるものの、仕様としては平凡なものとなった。

    Wikipediaより抜粋
    https://ja.wikipedia.org/wiki/MSX

    1 XSM :01/12/20 04:27.net

    ゲーム以外に何か使い道あった?。
    でも、当時は欲しくてたまらんかったなあ。


    【『MSX』1983年米MSとアスキーによって提唱されたパソコンの共通規格!80年代当時日本製で最も売れた8ビットパソコン!】の続きを読む

    このページのトップヘ