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ファミコン世代が喜びそうなゲームネタを中心に、ゲーム、アニメに関わる様々な情報をまとめたブログです。

    カテゴリ:レトロゲーム > レトロゲーム-ハード-


    いずれもシャープから発売された。 ファミコンテレビC1 - ファミリーコンピュータ内蔵のブラウン管テレビ。 ツインファミコン - ファミリーコンピュータとディスクシステムの一体型機。 編集ファミコン - ファミコンタイトラーの別名もある。 非ライセンス品 2003年9月の任天堂のファミリーコン
    127キロバイト (16,753 語) - 2022年1月13日 (木) 13:04



    【【ゲーム】ヤフオクにレアなファミコン互換機が出品されてる模様・・・『ファミコンタイトラー』】の続きを読む


    ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータは、1980年代から1990年代にかけて任天堂が販売した家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」の復刻版で、2016年11月10日に発売された。海外版ファミコンである“Nintendo Entertainment System” (NES) の復刻版“Nintendo
    28キロバイト (1,641 語) - 2021年6月5日 (土) 06:44



    1 のっぺらー ★ :2016/11/15(火) 17:56:40.76 ID:CAP_USER.net

    ゲーム総合情報メディア“ファミ通”は、
    2016年11月10日に発売された“ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ”の国内販売台数を公開した。
    (集計期間は2016年11月10日~2016年11月13日の4日間)

    (出典 www.famitsu.com)


    以下、リリースより。

    ゲーム総合情報メディア「ファミ通」は、任天堂が2016年11月10日に発売した、
    家庭用ゲーム機「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」の国内推定販売台数を速報としてまとめました。

    ■「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」売上速報
    (集計期間:2016年11月10日~2016年11月13日/販売日数:4日間)

    国内推定販売台数:262,961台
    ファミ通調べ

    「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」の発売から4日間(初週)の販売台数は26.3万台となりました。
    本ゲーム機は、1983年に発売した人気家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を小型化し、
    30本のソフトをあらかじめ収録して復刻したもので、特に当時遊んでいた世代から大きな注目を集めました。
    今後も、クリスマスや年末商戦に向け、さらに需要が高まりそうです。

    以下ソース:ファミ通 2016-11-15 17:35:00
    http://www.famitsu.com/news/201611/15120647.html


    【【ゲーム】発売からもう5年、2016年『ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ』売上速報!発売4日間で26万3千台を販売!まだ遊んでる?】の続きを読む


    セガサターン(SEGA SATURN)は、セガ・エンタープライゼスから発売された家庭用ゲーム機である。一般にはサターンもしくはSSの略称で呼ばれる。 発売時の日本での価格は44,800円。 セガサターンの名称は、セガの第六番目のコンシューマゲーム機ということから太陽系第六惑星である土星から付けられて
    71キロバイト (8,965 語) - 2021年7月4日 (日) 19:00



    1 風吹けば名無し :2021/05/01(土) 12:28:32.33 ID:SBagZYnf0.net

    ワイ「何がすごかったんや…?」


    【【ゲーム】「セガサターンはすごかった!」どこがすごかった?】の続きを読む


    1月18日に、ヨーロッパでは2002年5月3日に発売された。日本での発売当時のメーカー希望小売価格は25,000円。略称はゲームキューブキューブ、GC、NGC。開発コードネームは「ドルフィン」。本体および関連製品の型番にはDOLが付けられている。 日本での販売台数404万台、北米で1294万台、そ
    37キロバイト (3,345 語) - 2019年9月28日 (土) 02:02



    (出典 images-na.ssl-images-amazon.com)


    ニンテンドーゲームキューブ(NINTENDO GAMECUBE)は、任天堂が開発して2001年に発売した家庭用ゲーム機。日本では9月14日、アメリカとカナダでは11月18日、ヨーロッパでは2002年5月3日に発売された。日本での発売当時のメーカー希望小売価格は2万5,000円。
    開発コードネームは「ドルフィン」

    ゲームソフトのグラフィック向上に伴うソフトウェアの大容量化に対応するため、任天堂のゲーム機としては初めて、標準ソフトウェア供給媒体として光ディスクを採用した。

    使用している光ディスクは、任天堂と松下電器産業(現・パナソニック)が共同開発した、DVDをもとにした独自のメディアで、ディスクの直径は8センチメートル、また、CAV方式とすることで高速なデータ読み込みを実現している。データ読み込みの速さ以外にも、普及している一般的な規格と異なるものにすることで、違法コピーを作りにくくするという海賊版対策もあった。データ容量は約1.5GB。松下電器産業の著作権保護技術(→コピーガード)が使われている。当初はMDと同じプラスチック製のカートリッジで覆う予定だったが、DVDとの互換性が取れなくなると松下電器に反対されたため、現在の形になった。

    前機種NINTENDO64の反省を踏まえ、瞬間最大性能の高さよりも、安定的に高性能を発揮し、ゲームを作りやすいハードウェアとすることを念頭に開発された。岩田聡(当時、任天堂取締役経営企画室室長)によると「開発で最初に重要視したのが「数字主義、スペック主義からの決別」」である。いくらスペックが素晴らしくても、実際にソフトを開発してみると使えないスペックが多く、スペックが嘘になってしまうことを踏まえ、「ピーク性能を重要視するのでなく、現実的にゲームづくりで使える実効性能を重要視」している。ニンテンドーゲームキューブのスペックは、NINTENDO 64と比較してCPU速度を10倍、グラフィック処理速度を100倍を念頭に開発されたが、ピーク性能上はそれを満たしていない。しかし、岩田によると「実効性能としてはまさに依頼したCPU10倍、グラフィック100倍が達成できた」としている。

    CPUには、PowerPC 750を基にIBMが拡張した独自CPU「Gekko」を使用している。メモリにはMoSys社の開発した1T-SRAMを採用し、DRAM並のコストでSRAM並のアクセス速度を実現しているが、メモリ搭載量は24MBにとどまった。グラフィックチップのダイ上にグラフィックメモリを混載することによって、高速なアクセスを実現している。

    グラフィックチップである「Flipper」は、ArtX社が開発した。同社がATI社に買収されたことにより「Flipper」はATI製となり、ニンテンドーゲームキューブのパッケージにはATI及びIBMのロゴが印刷されている。製造は日本電気(NEC)により行われた。全体的なグラフィック性能はPlayStation 2より上である。

    左側には改良型のコントロールスティック・従来通りの十字ボタンに側面のLトリガーボタン、右側には一際大きなAボタン(緑)を中心にして、周囲にBボタン(赤)・Xボタン(灰)・Yボタン(灰)が配されている。ほかには3Dスティックと同じ構造のCスティック(黄)、側面のRトリガーボタン・Zトリガーボタン(青)を配する。中央にはSTARTボタンがある。

    L・Rトリガーボタンは押し込む深さによって強弱がつけられ、最後まで押し込むともう一段階クリックできるようになっている。モーターが内蔵され、ゲームに反応してコントローラが振動する。本体色はバイオレット、オレンジ、ブラック、バイオレット&クリア、シルバー、エメラルドブルー、ホワイトの7種。本体には同色のコントローラー1個が同梱。

    2002年にグッドデザイン賞を受賞した。

    本体には時刻などの本体設定を記憶しておくためリチウム一次電池を内蔵している。そのため、電池が切れるとそれらを設定しなおしても記憶できなくなる。また、この電池は市販品でないため、任天堂で交換してもらうこととなる(有料サポート)。

    日本での販売台数404万台、北米で1,294万台、その他477万台。全世界累計販売台数は2,174万台(2012年現在)。公式修理サポートは2012年7月に終了した。ソフトの修理サポートは引き続き原則可能となっている。なお、同時にゲームボーイアドバンス(2013年にはゲームボーイアドバンスSPとゲームボーイミクロも修理サポート終了)の修理サポートも終了した。

    Wikipediaより
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96
    1 風吹けば名無し :2019/09/27(金) 08:31:13.36 ID:lJRQ4R/Aa.net

    はっきり言って何も思い出がない


    【【ゲーム】『ゲームキューブ』は64よりもCPU10倍、グラフィック100倍を念頭に開発された傑作ソフトの多いハードだった!】の続きを読む


    セガサターン(SEGA SATURN)は、セガ・エンタープライゼスから発売された家庭用ゲーム機である。一般にはサターンもしくはSSの略称で呼ばれる。 発売時の日本での価格は44,800円。 セガサターンの名称は、セガの第六番目のコンシューマゲーム機ということから太陽系第六惑星である土星から付けられて
    69キロバイト (8,642 語) - 2020年10月26日 (月) 10:59



    (出典 upload.wikimedia.org)


    セガサターン(SEGA SATURN)は、セガ・エンタープライゼスから発売された家庭用ゲーム機である。一般にはサターンもしくはSSの略称で呼ばれる。

    発売時の日本での価格は44,800円。

    概要
    セガサターンの名称は、セガの第六番目のコンシューマゲーム機ということから太陽系第六惑星である土星から付けられており、ほぼ同時期に発売されたPlayStationや後発のNINTENDO64など、当時の「次世代ゲーム機」と呼ばれた機種と共に一時代を築いた。

    32ビット機の中でスタートを切る事に成功。1996年までは後にトップシェアハードとなるプレイステーションよりも普及していた。[5]また本体開発に関わった日本ビクター(後のJVCケンウッド)と日立製作所からもそれぞれ互換機が発売された。2D描画機能は当時のアーケードゲームや競合機と比較しても高水準であり、そのため、変形スプライトによる3D描画も出来る。

    3D表示はCPUによる演算と変形スプライトに頼っているため、3D全体の表現能力では専用ハードウェアを搭載する競合機に比べ劣っている。かつて世界展開したセガ歴代コンソール(SG-1000M3を含むSG-1000シリーズ、メガドライブシリーズ、ゲームギア、セガサターン、ドリームキャスト)の中で唯一、1,000万台を下回るなど、全世界累計で最も売れなかったハードであるが、日本国内に限れば、長年の競合相手だった任天堂の同世代機NINTENDO64の販売台数を上回っており、日本市場ではセガとして最も売れたハードでもある。

    中でも代表的なゲームタイトル『バーチャファイター2』は日本国内ではセガ初のミリオンセラーを記録した。


    3Dに特化した競合機のPlayStationやNINTENDO64と違って、旧来のゲーム機を正統進化させたオーソドックスなBG画面とスプライト/ポリゴン機能の両面を活かせるアーキテクチャであり、その性能は既存の2D対戦格闘ゲームやシューティングゲーム等にも適していたこともあって業務用ゲームから数多くのタイトルが移植され、同時代の他機種に移植された同名タイトルと比べても出来が良いと評価されている作品も多かった。
    また、同時期に稼働したセガサターン互換のST-V基板からの移植や、ST-Vとサターンでほぼ同時発売されたソフトもあった。

    また、セガは当時アーケードの3Dヒット作を多数持っていたため(アーケードゲーム事業は2015年4月にセガ・インタラクティブが承継)、『デイトナUSA』『バーチャコップ』『バーチャファイター2』『ファイティングバイパーズ』『セガラリーチャンピオンシップ』『電脳戦機バーチャロン』など、MODEL2基板タイトルを中心に移植された。

    日本市場においてサターンは発売日に20万台、発売1か月で50万台、6か月でプレイステーションよりも先に100万台セールスを達成するなど、セガの歴代コンソールとしては最も好調な売り上げを記録。ソフトも『バーチャファイター2』の130万本をはじめ『バーチャファイター』『デイトナUSA』『ファイターズメガミックス』『セガラリーチャンピオンシップ』『サクラ大戦2』『スーパーロボット大戦F 完結編』といった50万本を超えるヒット作を排出した。

    しかしPlayStation陣営が、当時ドラゴンクエストシリーズのエニックスと双璧を成していた、ファイナルファンタジーシリーズを擁するスクウェアのPlayStationの参入と、当時最新作であった『ファイナルファンタジーVII』の開発がスタートしたことを1996年1月に発表。発売の前年から大量のTVCMや広告を投入するといった入念な販売戦略が功を奏したこともあり優位に立たれ、またライバル機の低価格攻勢に対しても十分な対策と成果を上げられないまま、後述のように1998年の次世代機ドリームキャスト発表に至り、それに応じてソフトのリリース数も減少してしまい、夏季商戦以降はサターン市場も縮小していった。

    Wikipediaよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AC%E3%82%B5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3
    1 :2020/11/22(日) 09:28:13.17 ID:VRazTN0B0.net BE:811571704-2BP(2072)


    (出典 img.5ch.net)

    https://www.famitsu.com/news/202011/22209906.html
    セガサターンが発売された日。2D描画に秀でたセガ国内最大のヒットゲーム機で、『バーチャファイター』や『サクラ大戦』などの魅力ある作品を数多く発売【今日は何の日?】

    いまから26年前の1994年(平成6年)11月22日は、セガサターンが発売された日。

    セガサターンは、セガ・エンタープライゼス(当時)から発売された据え置き型ゲーム機。
    セガが発売した6番目の家庭用ゲーム機となるため、太陽系第6惑星の土星にちなんで
    サターンと名付けられている。当時“次世代ゲーム機”と呼ばれていたハードの中で
    先陣を切って発売され、半年後には国内100万台出荷を記録するなど、最高の滑り出しを達成。

    国内販売としてはセガ最大のヒットゲーム機となった。


    (出典 www.famitsu.com)


    32ビットCPUを2基搭載し、64ビット級のマシンパワーを実現。よりハイクオリティーな描写の2D表現はもちろん、
    ポリゴンによる3D表現も可能となった。とくに2Dの描画に関してはアーケード用システム基板同等もしくは
    それ以上のスペックを有していて、ゲームファンのあいだでは「2Dのサターン、3Dのプレステ」などと呼ばれることもあった。

    つづく


    【【ゲーム】『セガサターン』1994年にセガ・エンタープライゼスから発売された家庭用ゲーム機!高水準な2D描画機能を備え、「日本市場」では競合した64を抜きセガ史上最も売れたハード!】の続きを読む

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