バージョンアップ版『バーチャファイター2.1』をリリース。その優れたゲームバランスにより稼動開始から2 - 3年経過しても新たな戦術が生み出されるなど、アーケードの格闘ゲームとしては寿命が際立って長かった[要出典]。対戦格闘ゲームとしては『ストリートファイター 19キロバイト (2,526 語) - 2021年10月15日 (金) 01:47 |
マグミクス2021.11.05
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青春と共にあった『バーチャファイター2』
衝撃、驚愕、沸騰、熱気。
1994年11月に稼働が開始された『バーチャファイター2』のことを思い出すとき、同時にさまざまな感情や光景があふれてきます。今よりも世の中にもっとゲームセンターがあふれていた時代、どこのゲーセンにもずらりと対戦台が並べられ、その後ろには順番待ちをしている若者が列を作り、自分の番を今か今かと待っていたものです。
当時の筆者は地方在住の格闘ゲーム好きの学生でしたが、少し腕を上げて聖地のひとつ「新宿カーニバルプラザ」に遠征し、さんざん並んだあげく2ラウンド連続でカゲに押し出された記憶は、今も衝撃と共に脳裏にこびりついています。あのときはあまりにひどい負け方に屈辱を覚えたものですが、あれから25年以上が経過し、今では対戦格闘ゲームに青春を捧げた頃の懐かしい記憶となっています。
オンライン対戦が一般化し、多くのゲーセンが姿を消した現在では、タバコの煙が充満し、薄暗い空間に電子音が鳴り響き、多くの若者の情熱とコインが無限に注ぎ込まれた懐かしい光景を見ることはもうかないません。あの猥雑な世界にノスタルジーを感じる日が来るなどと、当時はひとかけらも思いませんでした。
あれは、青春だったのです。
それにしても、なぜ『バーチャファイター2』は時代を代表する作品となったのでしょうか。
まず挙げられるのは、当時としては最高峰をさらに上に突き抜けた高精度なグラフィックです。
前作『バーチャファイター』とは比較にならないほど美しく仕上げられたキャラクターが、華麗に素早く自在に動くのは大きな衝撃でした。当時のゲームセンターに集っていた若者たちは、子供の頃にファミコンに夢中になっていた世代です。ファミコンのドット絵からたったの10年程度でここまで来たのか。こんなすごいものが世の中に出てきたんだ。これからはもっとすごい物が見られるんじゃないか。そんな夢と希望を無限に持てた時代でもあったのです。
有名プレイヤー「鉄人」の存在
また、この時期の対戦格闘ゲームはゲーマーそれぞれが地元のゲーセンに入り浸って遊ぶものだったため人間関係は狭く、それぞれの店のなかで競い合うのが一般的でした。 当然、全国に名前がとどろく有名プレイヤーはほとんどおらず、雑誌「ゲーメスト」が開催した大会で優勝したプレイヤーの名前が、ごく一部の人間の間でだけ語られる程度でしかなかったのです。
その状況を大きく変えたのが『バーチャファイター2』でした。
池袋サラに新宿ジャッキー、柏ジェフリー、キャサ夫、ブンブン丸といった鉄人と呼ばれたプレイヤーたちは絶大な人気を獲得し、彼らがプレイする台には多くの人が押し寄せ、息が詰まるほど密集しながら一挙手一投足を食い入るように見つめていたものです。
その人気はゲーセンのなかだけに留まらず、テレビやイベントにも数多く出演を果たし、『バーチャファイター2』が時代を動*力を持つムーブメントであることを証明していました。
翌1995年にはサガサターン版も発売され、アーケードよりも性能が劣る家庭用ハードにも関わらず高度な移植を実現。ポケットのコインの残りを気にせず練習ができるようになり、『バーチャファイター2』の勢いはさらに加速していきました。友達の家に押しかけて、徹夜で対戦を繰り返した記憶を持つ方も多いのではないでしょうか。
あれから25年以上の時間が経ち、かつてのプレイヤーたちが歳を重ねるのと同じくして、『バーチャファイター』も共に時代を歩んできました。2010年に発売された『バーチャファイター5 ファイナルショーダウン』を最後に10年以上新作が登場していなかった「バーチャファイター」シリーズも、2021年になり、『ファイナルショーダウン』をリメイクした『Virtua Fighter esports(バーチャファイター eスポーツ)』が登場し、新たな展開を見せています。
当時『バーチャファイター2』に熱狂した若者たちも今や40代を超え、社会の中核を担い忙しく働いている方も多いでしょう。筆者もなかなかゲームを遊ぶ時間は取れませんが、過去を懐かしみながら未来を追いかけていく道のひとつとして、ステックを握り、ボタンを叩いています。
やっぱりね、対戦は今やっても面白いですよ?
>>1
> 池袋サラに新宿ジャッキー、柏ジェフリー、キャサ夫、ブンブン丸といった鉄人と呼ばれたプレイヤーたちは絶大な人気を獲得し、彼らがプレイする台には多くの人が押し寄せ、息が詰まるほど密集しながら一挙手一投足を食い入るように見つめていたものです。
彼ら今は何してるんだろう?
3Dでカメラが動かせるってのは画期的だったんだよな
ゼル伝なんてローポリなのにかなり凝っている
>>3
バーチャはやってないからわからんのだが、カメラが動くのにキャラの間合い計れるの?
ブンブン丸とはひばりが丘にあったゲーセンでよくスト2対戦したわ
>>5
ひばりが丘は全盛期3軒くらいあったな
有名な人も来てたんだね
>>31
北口にある今は100円ローソンのあたりのところに
アーケードゲームに手を出していた金子製作所の社長の息子が店長やっていたゲーセンがあってな
(店頭にスポーツカーを展示していたゲーセン)
当時無名のブンブン丸と知りあったとき
彼は友人とつるんで2人でそこをメインにたむろっていたな
あとは北口2階のセガとか、南口の薄暗い地下一階の50円ゲーセンとかかで良く会った
当時はスト2の大ブームで彼はザンギエフとかサガットをメインに使ってた
遠征だと石神井公園の店とか行ってた
彼はひばりが丘が地元だったはず
友人とつるんでひばりが丘の松屋でバイトしてたし
中学までしか行ってなかったりとか複雑な家庭事情なのは
当時全然知らなくて、のちにファミ通の紙面で知ったわ
バーチャの時代に入ると北口の2階のセガにいたりとか新宿に遠征してたみたい
で、その後新宿でスカウトされてファミ通で働きだしたのは有名な話
>>33
うろ覚えだけど
北と南がたぶん逆?
デカいゲーセンのデカい画面で餓狼SPちょっとやった記憶がある
>>39
北口の整備で初っ端にゲーセン潰れた。
未だ雑多な雰囲気は残ってるけど、
あの頃の良い意味で駄目な北口はもう戻ってこない。
>>39
北口のB1のゲーセンが誕生するもっと昔に
餃子の満州とローソン100のところにゲーセンがあった
富士山バスターとかのロケテしてたw
北口のファンタジアは道路整備計画で今は道路か
北口の2Fセガも再開発で今は駅の階段あたりか
更にセガの前に古いゲーセンがあった記憶が…
北口のプレゴひばりが丘の前は武蔵野産業のBIGで
1Fがパ*で2Fゲーセンとかあった記憶が…
ラーメン二郎よりもう少し駅寄りのところに
B1にゲーセン1Fがレンタルビデオ屋があったな
今は不動産屋あたりになってるか
あとは東久留米のキャロットハウスとかTAITOのゲーセンに塾の帰りに寄ったわw
1990年前後頃の話だけどね
ブンブンはいまだに現役だから配信見てるけどたまにガチギレするから面白い
>>6
もう40過ぎてるだろうに頑張ってるな
俺はもう枯れて久しい50過ぎだし、ゲームをやらなくなってしまった・・・
最初VF1を見た時はしょぼいCGでパンチとキックしかないクソゲーだと思った
しばらくして鉄山靠という技が発見され、レバーとボタンとの組み合わせで多彩な技が繰り出せることが分かった
それ以来バーチャの虜になった
そして満を持してのVF2発売
画面が見えないほどギャラリーが集まりスト2を超える人気だった
1プレイ200円だったのにだ
アドバタイズの舜帝の演武の衝撃は今も脳裏に残ってる
初代がスミソニアン博物館に展示されてるのも誇らしい
鈴木裕氏の功績は大きい
今はPS4のeスポーツにドハマリ
当時の鉄人のほとんどが復帰し、おのおののようつべのチャンネルで活動している
スト5や鉄拳ほどの絶大な人気はないが、息の長いゲームとして6に期待したい
>>9
俺が最初にVF1見たのは、新宿東口の今は100円ショップになってる某ゲーセンだったな
当時は1回200円で、しかもふたり並んで座る大型筐体だったのに、それでもお客さんがかわるがわる遊んでた
といっても数人だけだったけどねw 夜だったし
そういやVF2の忠実な移植ってどのゲーム機からも出ていないような
>>18
一応、PS2のセガエイジス2500が
1番オリジナルぬ近い移植かな
PS3のDL版はHDになってネット対戦
できるけど
>>18
一応、PS2のセガエイジス2500が
1番オリジナルぬ近い移植かな
PS3のDL版はHDになってネット対戦
できるけど
>>18
龍が如くでできるw
>>18
Win版は忠実じゃないかな。発売当初のPCだとスペック不足かもだけど
何世代か後のPCにWin98入れて描画設定等を最高にすれば相当イイ感じだと思うが。
相手の下段起き上がり攻撃に登り大ジャンプキックを当てることに執着してた
ガイーンって金属音が気持ちよかった
>>28
ダヒーンだよ、ダヒーン
アメリカで人気が全然無かったからシリーズが
終わってしまったけど、なぜアメリカでは受け
無かったんだろ?
>>32
銃
PCでBF1942が出たときのほうがびびったわ
>>45
OFPの方が衝撃だろう
エディタで適当に配置してもそれっぽい戦場になる。
オプションに敵移動予測サポート(チート)がある=AIは敵が遮蔽物で見えなくなっても移動予測を行っている。
分隊長が部下に指示を出す。
AT兵器を持っていてもBMP1輌に奇襲されたら5分で分隊は全滅するような兵器間のバランス
たまにはサイキックフォースのとこも思い出して下さい
>>57
あれはなぁ・・・当時ゲーメストで何か年間大賞もらったそうだけど、
自分としてはそれほどの出来かな?と思ったよ
そうしたらやはり石井ぜんじが物凄く推してて、彼だけやたらと高い評価だった
彼はバーチャ1はあまり評価してなくて、「リアルさよりも夢がほしい」とか書いてたんだよな
>>59
やっぱり不公正な選定だったのか、、、
>>65
いや、アレは組織票の力
中身の人じゃないからホントに不正なかったかなんてワカランけど、副編集長が一位とったタイトルに対して
「投票した奴らはバカか」
「これは人気投票じゃねえぞ」
「ちゃんと考えて本当に価値のあるゲームに投票しろ」
「このゲームは一位をとるのにふさわしくない」
...とか読者にキレた雑誌なんて聞いたことないw
そんな風土の雑誌だったから、不正あったら誰かが暴露してたんじゃなかろうか
末期には会社の経営ヤバいの暴露してるライターいたし
>>72
そういや、ゲーメスト大賞の読者さま参加枠で当選して、
大賞の会場にお呼ばれしたことが何度かあるが、
最後のゲーメスト大賞となった1998年の一位は変なランキングだったなぁ、
なんで「キカイオー」じゃないんだ、、、
なんて、当時の記憶が黄泉帰った。
まぁ、クイズゲームで非売品CDもらった喜びの記憶のほうがはるかに強いけどねw
>>59
2な
サターンであそこまで再現したのは大したものだったな。
サターン買って良かったと思わせてくれた。
>>64
俺もわざわざヨドバシに予約までして、発売当日に買ったなあ
翌年に出た2も「ここまでやるのか!」と言う完璧に近い出来だった
>>64
サターンはバーチャをやる為に買うハードだったからな出た当時は
>>83
で、サカつくばかりやることに
当時雑誌編集をしていたが、このゲームのムックはできがよかった
>>66
バーチャファイターリミックスのことかな
たしかにアレは素晴らしかった
まさか格闘ゲームの歴史から消えて、
鉄拳が残り続けるとは思わなかった。
格闘ゲームを作っても儲からないと
メーカーは言うけど・・・
>>70
鉄拳はキャラも見た目濃いしな
どう見てもあっちのほうがゲームっぽいし、オタの琴線に触れまくりw
それにバーチャはリーダーの鈴木裕氏がシェンムーのほうにいったしな
やたら筐体がデカかった印象しかない
>>73
普通のアストロ筐体だろ笑
darkedge復活しろ
>>76
> darkedge復活しろ
アレは面白かったな
ローアングルの視点も当時としては珍しかったし
もう一度やりたいんだが・・・
>>86
アストロシティミニなら出来るよ>ダークエッジ
正直、早すぎた作品だと思う
エポックメーキングだったのは、スト2の方だと思うけどね。
あのヒットが対戦格ゲーをメジャーに押し上げた。
>>80
どっちもエポックメーキングだよ
ファイターの前にバーチャレーシングがあったよね
あんまやってるヤツいなかったけど
あとやたら付録が豪華な覇王とかいうゲーム雑誌があった
>>89
F1マシン型した筐体で左右にGが掛かると横からエアバッグ見たいなので疑似Gが掛るヤツならやった。
>>91
あと、4台並んだ大型筐体の上に中継用モニターが付けられたのもあったな
会社帰りにゲーセン寄るいい時代だった
飲み会の後に乗馬(クビをグイグイ押す)のマシンとか乗ると気分悪くなったり
それが今はクレーンゲームばかりだ ゲーム界の衰退はゲーセンに現れてるな
>>92
格ゲーブームの頃はど田舎のゲーセンですらベガ立ち勢いたからな~
コメント
まるでわかりやすく対抗意識燃やして 鉄拳4とかの攻略本に
「鉄拳とは、”格闘ゲーム”そのものの歴史と言っても過言ではない」
て書かれてて草 そもそも鉄拳は1の時点で
アーケード版で巌流とかをプレイアブルにしなかったのを
「身体のバランスが悪いから中ボスにしました(笑)」って
言ってる時点でおかしいだろ 原田Pも自慢するように出てるし
なんなんだアレ
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