1960年6月3日、セガ60周年!前身となる「日本娯楽物産(株)」が設立されました:今日は何の日? - Engadget 日本版 1960年6月3日、セガ60周年!前身となる「日本娯楽物産(株)」が設立されました:今日は何の日? Engadget 日本版 (出典:Engadget 日本版) |
セガサミーホールディングス > セガグループ > セガ 株式会社セガ(英: SEGA Corporation)は、コンシューマーゲーム、ソーシャルゲーム、アーケードゲームの開発、製造、販売を行うセガサミーグループの企業で、株式会社セガグループの100%子会社。 本稿では(初代)株式会社セガ 96キロバイト (11,352 語) - 2020年5月27日 (水) 05:55 |
愛すべきセガ60周年! ファミコンと同年発売・家庭用ゲーム機の開発、そして撤退
https://news.yahoo.co.jp/articles/12182ca672cf2e5e754dbd8d3ca9af43cc84cff0
6/3(水) 8:14配信
■セガは「ジュークボックス」から始まった
1980年代から1990年代にかけてさまざまな家庭用ゲームハードや個性豊かなゲームを世に送り出し、熱狂的なファンを生み出したセガが、設立60周年を迎えます。これを記念して、セガが歩んだ激動の歴史を、「SG-1000II」から「ドリームキャスト」まで、セガのハードを買い続けたライターの早川清一朗さんが振り返ります。
株式会社セガは戦後から6年経過した1951年に、「サービスゲームズジャパン」として設立されました。この頃はアメリカからジュークボックスを輸入し、クライアントへ納入およびメンテナンスを行う業務を行っています。
ちなみにジュークボックスというのは内部に大量のレコードが収められた音楽機材で、お金を入れると好きな音楽が流れ出るようになっていました。筆者が子供の頃にはボウリング場などで見かけることもありましたが、最近ではストリーミング配信が可能なデジタルジュークボックスが主流になっているようです。
1960年には営業部門の「日本娯楽物産」と製造部門の「日本機械製造」に会社を分割し、自社開発に乗り出します。結果として国産初のジュークボックス『セガ1000』の開発に成功し、ハードウェア自社開発の伝統が生まれるのです。このとき名付けられた「セガ」は「SERVICE GAMES」の頭2文字ずつを組み合わせたものであり、将来の社名となりました。
(略)
■家庭用ゲーム機の開発、そして撤退
1983年にはセガ初の家庭用ゲーム機となる「SG-1000」を発売。同年には任天堂の「ファミリーコンピュータ」も発売されています。「SG-1000」は佐藤氏によると「ファミコンの余波で16万台も売れた」そうで、佐藤氏自身も現場に駆り出された際には「セガのファミコンです」といって売ったこともあるそうです。実際問題として、「SG-1000」はセガが開発した家庭用コンピュータ「SC-3000」を家庭用ゲーム機として手直ししたものなので、言葉のロジックとしては嘘ではないのでしょう。
翌1984年には大川功氏率いるCSKグループ傘下となり、初めて日本の資本の元で活動できるようになります。同年「SG-1000II」が発売され、こちらもヒットします。なお、筆者と母親がおもちゃ屋さんの店員に「ファミコンと似たようなのがありますよ」と言われて購入したのがこちらのハードで、『スタージャッカー』というシューティングゲームを楽しんだ記憶があります。
(略) 家庭用ゲーム機でも1985年に「セガ・マークIII」、1986年には北米市場用に「セガ・マスターシステム」を発売しています。「マスターシステム」は逆輸入の形でマイナーチェンジを施したのち、1987年に日本でも発売されました。日本では「ファミコン」に対抗できなかったものの、欧州やブラジルでは大ヒットしています。
1988年には初の16bit機となる「メガドライブ」が発売され、今も根強いファンに愛好されるヒット作となりました。アメリカ・カナダ・メキシコでは「GENESIS」という名称で、それ以外の国では「メガドライブ」のまま発売され、世界的ムーブメントを引き起こすほどの大ヒットを記録しています。1991年に発売された「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」シリーズは、今もセガの代表的なタイトルとして健在です。
さらにアーケードでは「バーチャファイター」シリーズや「バーチャロン」シリーズで時代の最先端を駆け抜けたセガは、1994年に過去のゲーム機の性能をはるかに超えた高性能機「セガサターン」を発売します。個性豊かなゲームのみならず、藤岡弘、さん演じる「せがた三四郎」や「湯川専務」など広告戦略でも存在感を発揮しますが、ソニーの「プレイステーション」に対し序盤は優勢だったものの、徐々に形勢が逆転し、後塵を拝するようになります。
そして1998年にはより高性能な「ドリームキャスト」を発売し魅力的なゲームを数多く発売しますが、ミニシリーズをのぞけば、これがセガ最後の家庭用ゲーム機となってしまいました。
家庭用ゲーム機事業撤退の際には巨額の損失が発生し、一時倒産も危ぶまれたセガですが、大川功氏が850億円の私財を寄付してくれたことにより、危機を脱します。
2000年には会社名を「セガ」に変更し、ゲームの開発会社として精力的な活動を行い、今も多くのファンの心をつかみ続けています。このまま70年でも、80年でも愛される存在でいてほしい、それが筆者の切なる願いです。
全文はソースで
60周年そして未来へ | セガ設立60周年特設サイト
https://60th.sega.com/gosega/
>>1子供の頃セガだけ持ってたけど宇宙人と話してるみたいで何言ってるのか分からずみんなの話の輪に入っていけなかったでありんす
>>1
ナイツとバーニングレンジャーの新作作ってくれや!
>>1
レトロゲーのスレ好きなんだけど、早川清一郎の記事はいつもつまらない。
誰でも知ってるレベルの事柄とありふれたコピペみたいな感想しか書いてない。
マークスリー
マスターシステム
メガドライブ
サターン
ドリームキャスト
メガドライブミニ
までは買った
>>6
それだけ買えば十分
アーケードは一流
アーケードからの移植は1.5流
家庭用オリジナルは2流
それがクソゲーメーカーのセガ
>>14
今の三国志大戦とか見てるとアーケードも3流になってる
>>14
わかってない
ゲームギアミクロ出るのかw
https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1256489.html
>>19
ちっちゃ過ぎw文字読めないだろこれw
>>26
掃除してたらゲームボーイカラー出てきたから電池入れなおして上海やろうと思ったけど
老眼で牌がまったく見えずに断念した。
>>19
こんなのでどうやってソニックやるんだよwww
ファミスタからパワプロへ野球ゲームの本流が移り変わるのを横目に、
俺はひたすらグレイテストナインをやっていた
>>20
当時の野球ゲームの中で飛び抜けてリアルで、1作目が出た時はマジで衝撃的だったな。
ドリームキャストを買っていなかったら俺はここにいない
>>21
俺もw
あと特撮やアニメもムック本を処分して卒業してたのに
せがBBS覗いてたら仮面ライダークウガとかターンエーガンダムとか始まってアニメBBSで盛り上がって引き戻されたw
メガドライブ最高傑作はランドストーカー
異論は認めない
>>29
LUNAR ETERNAL BLUEだろ
あれは神ゲー
>>33
それメガCDやろ
ドリキャスのぐるぐる温泉でネットデビューしました
テレホで
>>31
ワイも
懐かしい20世紀末
>>31
レンジやりまくって親に怒られたなぁw
初めて家にゲームが来たのは、オレンジの本体のブロック崩ししかできないゲーム機だったな
>>36
うちのはブロック崩しじゃなくて
ホッケーとかバレーとかって名前の二人対戦用のゲームだった。
本体にダイヤル2つ付いてた。
セガって創業者の名前かと思ってた
>>39
それナムコ
>>62
中村製作所か
コナミも創業者の三人の頭文字だっけか
ファミコンが買えなくて仕方なくセガを買って仲間外れにされてた*ガキいたわ
>>43
わしのことか?
84年クリスマスシーズン任天堂が潰れたと
言われてファミコンの代わりにセガだった
北斗の拳は明らかにファミコン版より出来がよかったな
>>52
ソニックやファンタシースターの生みの親の天才中裕司が作った作品だからな
>>52
Beepで引き分けって記事見たときは はぁ?だったよな
ソニーが1994年に「プレイステーション」を発売すると、
セガは技術を結集して同じ日に「スーパー32X」を発売。
ちなみに、「スーパー32X」を「メガドライブ」に接続して
使用すると、16bitだった「メガドライブ」が32bitの
「プレステ」と同等の性能にパワーアップさせることが出来ます。
ただし、「メガドライブ」周辺機器を次々に装着して「メガドラタワー」
完成させるためには15万8700円の費用が必要。また、セガの別チー
ムが「セガサターン」を発売していたこともあって「スーパー32X」
は売れなかったとのこと。
>>56
もうその話はしくじり先生の件もあってみんなお腹いっぱい
ファミコン全盛期の時、セガはエロゲーで対抗すりゃ良かったんだよな
>>63
節子、それはPCエンジンや
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