ゲーマーズROOM

ファミコン世代が喜びそうなゲームネタを中心に、ゲーム、アニメに関わる様々な情報をまとめたブログです。

    2020年06月


    株式会社NESTAGE なお、ゲオエブリはゲオグローバルの子会社で、ゲオステーションはゲオエブリの子会社である。従って資本関係はゲオ(親会社) - ゲオグローバル(子会社) - ゲオエブリ(孫会社) - ゲオステーション(曽孫会社)となっていた。また、ゲオフロンティアはゲオゲオエブリが半数ずつ出資していた。
    40キロバイト (4,512 語) - 2020年5月1日 (金) 01:40



    (出典 dpc8tamkiuhgi.cloudfront.net)



    1 風吹けば名無し :2020/06/20(土) 20:25:38.32 ID:J9OHyqBq0.net

    グリーンハウスは、狭額縁の50型4K対応液晶テレビ「GH-TV50BG-BK」を、ゲオショップ462店舗、およびゲオの通販サイト「ゲオオンラインストア」で18日に発売した。価格は39,800円。
    パネルは4K解像度だが、4Kチューナーは内蔵していない。

    画面の枠が薄いデザインが特徴で「ベゼルレスフレーム」を謳う。日本メーカー製の最新LSIを採用を搭載。
    高速なUIレスポンスを実現し、「くっきりと見やすい映像で、映画やゲーム、さまざまなコンテンツが楽しめる」という。

    バックライトは直下型。視野角は上下左右178度。

    パネルはVA方式で、解像度は3,840×2,160ドット。輝度は290cd/m 2 。コントラスト比は4000:1。応答速度は9.5ms(グレー to グレー)。


    (出典 i.imgur.com)


    【ゲオ、ベゼルレスフレーム採用「4K/HDR対応50V型液晶テレビ」を税別価格3万9800で販売】の続きを読む


    90年代(きゅうじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)90年から99年までの10年間を指す十年紀。 ドミティアヌス : ローマ皇帝(在位 : 81年 - 96年) ネルウァ : ローマ皇帝(在位 : 96年 - 98年) 注釈 出典 十年紀の一覧 年表 年表一覧 ウィキメディア・コモンズには、90年代に関するカテゴリがあります。
    854バイト (62 語) - 2018年6月7日 (木) 21:16



    (出典 getnavi.jp)



    1 名無しさん必死だな :2020/06/26(金) 19:38:04.37 ID:hvUw68460.net

    たまごっち、セガサターン、ノストラダムス  「90年代は楽しかった!」という人々の声

    僕は1984年生まれ。昭和の終わり際から平成の初頭までにかけてが子ども時代になる。
    そこで今回は、過ぎ去った90年代に最後のスポットを当てようと思う。

    ……スポットを当てると簡単に書いてしまったが、思い起こせば90年代と一口に言っても前半と後半ではかなり世相が異なるんだよね。
    90年代の前半って、まだ日本がギリギリバブルだった時期だ。

    「コロコロコミック全盛期だった」「ファミコン楽しかった」たまごっち、セガサターン、ノストラダムス」

    冒頭からオタク丸出しで申し訳ないんだけども、たとえば91年の年末に公開された『ゴジラVSキングギドラ』では、
    未来の日本が米国やソ連以上の超大国として世界中を牛耳っているという描写がある。

    90年代前半って、邦楽も今より勢いがあったし、何よりこの時代を象徴していたと思うのが、
    広告に用いられる斬新なキャッチコピーではないだろうか。
    特に『金曜ロードショー』あたりの、遅い時間にやってる番組のCM中で流れるテレビ広告って
    珠玉の出来の作品が多かったと記憶している。

    ほら、山下達郎の楽曲をバックにしたJR東海の「距離にためされて、ふたりは強くなる」とかその代表例じゃなかったっけ?
    バブルは弾け、日本は少しずつ斜陽に向かいつつあったが、一方で邦楽シーンはかなり勢いがあったように思う。
    音楽番組は今以上に視聴率を稼いでいたし、モーニング娘。が大ブレイクしたり
    小室ファミリーの楽曲が週間CD売上チャートを総なめにしたり。

    当時はまだネットで音楽を聴くという習慣もないので、CDも売れに売れていたわけだ。
    さらに98年には椎名林檎、99年には宇多田ヒカルもデビューしている。
    90年代の後半は、こと音楽にかけては傑物よりどりみどり。
    大豊作だった。

    それから、同じく99年にはドコモのiモードのサービスが開始された。
    これに伴って携帯電話ユーザーがどんどん増えていったことをよく覚えている。
    着メロに拘ったり、アンテナがメールを受信すると七色に光るように加工したり。
    機能が少ない当時の携帯電話を、工夫でどうにか楽しもうとしていた、ということだろうか。

    https://news.careerconnection.jp/?p=62897


    【アラフォーさん「90年代は、音楽 ゲーム テレビ 全部の文化が最盛期で楽しかった!!!」】の続きを読む


    ファミリーコンピュータ(Family Computer)は、任天堂より1983年(昭和58年)7月15日に発売された家庭用ゲーム機。型番はHVC-001。HVCはHome Video Computerの略である。日本国内での略称・略記はファミコン・FC。任天堂の公式表記では、JISの表記ルールにの
    100キロバイト (13,051 語) - 2020年6月6日 (土) 00:58



    (出典 image.itmedia.co.jp)


    ファミリーコンピュータ(Family Computer)は、任天堂より1983年(昭和58年)7月15日に発売された家庭用ゲーム機[。型番はHVC-001。HVCはHome Video Computerの略である。日本国内での略称・略記はファミコン・FC。当時の発売価格は14,800円。

    ゲーム&ウオッチの事業を成功させた任天堂が、その利益を投入して開発した家庭用ゲーム機である。当時アーケードゲームで人気を博していた『ドンキーコング』が見劣りなく家庭で遊べる程度の性能を目標に設定して開発された。


    仕様
    当時の家庭用ゲーム機としては群を抜く高性能を備えており、本体の記憶域についても「複雑なゲームに耐えるよう、巨大なスペースを持っている」と評された。コストと性能のバランスを考慮した上で汎用性を割り切った設計になっている。

    主記憶は、アプリケーションのROMカートリッジによる供給を前提に、16KbitのSRAMで構成されている。音源は、デューティ比の変更が可能な矩形波と、ノイズ、三角波、DPCMが使用可能になっており、当時の低価格帯の汎用音源を搭載したハードウエアよりも高い表現力を有しており、カートリッジ側とミキシング可能になった拡張スロットは、さらにその拡張も可能にしていた。

    また、NTSC信号を直接生成し、スプライトを含むキャラクターに対し、カラーで制御が可能になっているカスタムチップによる設計は、汎用チップで構成された低価格帯のコンピュータや、ゲーム機に対し、その発売されたソフトウエアも相まって、特にキャラクタが多く動くリアルタイムゲームの実行という目的において大きな優位性を示した

    ロムカセット(カートリッジ)によりゲーム内容を交換できる方式である。

    CPU:リコー製RP2A03(MOS 6502にサウンド用DACおよびDMA転送機能を追加し、BCD演算機能を削除したカスタムチップ。1.79MHz動作。8bit。)

    音源:pAPU 上記のとおり、CPUに組み込まれている。

    ビデオ用PPU:リコー製 RP2C02

    ワーキングRAM:2kバイト(16kビットSRAM)
    VRAM:2kバイト(16kビットSRAM)

    表示画素数:横256ドット×240ライン(表示可能な範囲外を含む)
    本機はVRAM上の理論値240ラインのうち上下端の数ラインはRF出力ではまともに表示できず、実質的には224ラインほどが有効[注釈 9]。それを見越して本機はVRAM上の仮想的な上下端の数ラインに異常な表示が出ることを許容した設計になっている。エミュレーションで再現される場合には表示範囲の制限はないため、上下の異常な表示を隠すため縦を二進法で切りの良い224ラインとすることもある。

    色表示性能:52色から56色まで諸説(数え方による)
    RGBでの指定ではなく、NTSC信号を直接生成する方式のため、与えるパラメータは64種であるものの、(有彩色12色相+無彩色2系統)×4種類(彩度と輝度の組み合わせ)という構成。表示色の数が中途半端になるのは、無彩色の一部が重複しているため。
    ファミリーベーシックの取扱説明書では52色と記述がある。
    最終的に宮本茂が色を選択したと取れるドキュメントや記事もあるが、実際の仕様は色を一色ずつ選んで指定するようにはなっておらず、「色」を選択したのではなく、52色という色表現の選択幅を決定したとするのが正しいと考えられる。

    同時発色数:25色
    スプライト用、BG用それぞれ4パレットで、1パレットは4色で構成されるが、うち1つは全パレット共通色(スプライトの場合は透明色)となる。8パレット×3色+共通1色=25色

    スプライト(オブジェクト):サイズ8×8ドットまたは8×16ドット1画面中に64枚表示可能(水平には8枚まで)
    スプライトのキャラクターパターン(グラフィック)は64種類定義できる。
    スプライトは、水平・垂直反転可能。
    スプライトの表示位置は、BGの手前か後ろかを選べる。

    BG画面:256×240の領域を2画面(追加VRAMにより最大4画面)
    BGキャラクターはスプライトと同じく8×8ドットを256個。ただし、スプライトとは別にBGキャラクタセットを持てる。
    色は16×16ドットの範囲ごとにパレットで指定。
    内部的には256×240の領域を4つタイル状に並べた画面を構成し、そのうちスクロールレジスタによって指定された256×224の領域が表示できる。ただし、本体内のVRAMは2領域分しか用意されていないので、ロムカセット内の結線によって縦または横方向、単一画面にミラーされる。したがって、ロムカセットごとに縦スクロールをするか横スクロールをするかによって、都合のよい方を選択している。ソフトから切り替えられるようにしたロムカセットもある(下記MMCの項を参照)。また、ロムカセット内にVRAMを追加し、4領域をすべて使用することもできる。中にはキャラクタROMを256×224の領域として使用できるロムカセット[20]もある。
    前述の制約から、カートリッジ側での拡張機能を使わずに上下左右にスクロールするゲームは、ミラーされている方向へのスクロールの際は、画面端でBGキャラクターの描き換えがチラついて見える。
    PPUの制約から、テレビへの信号出力とBG面の描き換えを同時に行えない。このため、通常はVSYNC期間中にBG面の描き換えを行うが、一度のVSYNC割り込み期間内で描き換えられるのは32キャラクターに制限されている。このため、『ウィザードリィ』のような画面全体のキャラクター描き換えによる擬似3D視点タイプのゲームでは、テレビへの信号出力を止め(ブランクの信号を出力)、その間に画面全体を描き換える。このため、画面を描き換える度に画面全体がチラつく。なお、描き換え時にティアリングが発生しても問題ない場合はこの限りではない。

    ACアダプタ端子、RF出力端子
    コンポジットビデオ端子は発売当時は装備していたテレビが少数だったこともあり、搭載されなかった。基板から出る映像信号にアンプ回路を組み込み配線を引き出すことで、容易にコンポジット映像信号を出力させることが出来る。
    RGBは出力していない(サードパーティ製の専用基板を取り付ける改造が必要。)。
    1ch / 2chチャンネルセレクトスイッチ(RF出力先)、ゲーム / テレビ切り替えスイッチ
    初期にはなかったが、後にこれらの機能を説明するための漫画「これがファミリーコンピュータだ!! ファミリーコンピュータ編」が同梱されるようになった。
    15ピン拡張コネクタ - ジョイスティック、キーボード、光線銃などが接続可能、独自規格。初期を除きカバーが附属。
    カートリッジイジェクトスイッチ、電源スイッチ(スライド式)、リセットボタン、コントローラ×2(本体筐体内コネクタにて接続)

    外形寸法:幅150mm×奥行き220mm×高さ60mm

    重量:620g

    Wikipediaよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF
    1 風吹けば名無し :2020/05/12(火) 04:41:59 ID:p0foIn6ad.net

    ?コンで「ハドソーン!!」


    【【ゲーム】『ファミリーコンピュータ』1983年に任天堂から発売!当時のゲーム機としては群を抜く高性能を備え、全世界で約6,291万台を売り上げた大人気家庭用ゲーム機】の続きを読む


    ぷよぷよ』(Puyo Puyo)は、株式会社コンパイルが発売した落ち物パズルゲームのシリーズ。また、このシリーズにブロックとして登場するスライムタイプのモンスターの名前でもある。どちらも縮めて「ぷよ」と呼ばれる。 本作は、同社のRPG『魔導物語』の派生作品として製作されており、操作ブロックとなる
    141キロバイト (22,539 語) - 2020年5月28日 (木) 04:02



    (出典 i.gzn.jp)



    1 朝一から閉店までφ ★ :2020/06/25(木) 13:39:52.85

    2020年06月25日 12時40分 公開
    [ITmedia]

     セガは6月25日、対戦アクションパズルゲーム「ぷよぷよ」のソースコードを使ったプログラミング教材「ぷよぷよプログラミング」を、26日から無料で提供すると発表した。


    photo
    「ぷよぷよプログラミング」の操作イメージ

    (出典 image.itmedia.co.jp)



     ぷよぷよプログラミングは、Webシステムの開発を手掛けるアシアル(東京都文京区)のプログラミング学習ツール「Monaca Education」上で使える教材。インターネット環境があればOSの種類に関係なくWebブラウザから操作できる。

     利用者は、HTML5やJavaScriptで書かれたソースコードを書き写し、ぷよぷよのプレイ画面を確認しながらコーディングを学ぶ。「ぷよ」を左右に移動させたり、消したりできる他、ぷよの色や数を変更できる。



    photophoto
    「ぷよ」の移動や色の変更が可能

    (出典 image.itmedia.co.jp)


    (出典 image.itmedia.co.jp)



     コードの入力量に応じて初級~中級・上級コースがあり、プログラミング初心者でもコーディングに慣れ、間違いを発見し修正する能力が身に付くという。

    https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2006/25/news085.html

    Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

     


    【「ぷよぷよ」のプログラミング教材、セガが無料提供 “ぷよ”の移動や色指定でゲーム制作体験!】の続きを読む


    燃えろ!!プロ野球』(もえろ プロやきゅう)は、1987年6月26日に日本のジャレコより発売されたファミリーコンピュータ用野球ゲーム。通称燃えプロ。北米では『Bases Loaded』のタイトルで発売された。 日本国内版は日本プロ野球を題材にしている。それまでにファミリーコンピュータにて発売され
    43キロバイト (5,142 語) - 2020年6月19日 (金) 11:02



    (出典 amd.c.yimg.jp)


    『燃えろ!!プロ野球』(もえろ プロやきゅう)は、1987年6月26日に日本のジャレコより発売されたファミリーコンピュータ用野球ゲーム。通称燃えプロ。北米では『Bases Loaded』のタイトルで発売された。

    日本国内版は日本プロ野球を題材にしている。それまでにファミリーコンピュータにて発売された任天堂の『ベースボール』(1983年)や、当時ライバルだったナムコの『プロ野球ファミリースタジアム』(1986年)等と異なり、投手後方からのアングルによる視点でのゲームとなっている。

    開発はトーセが行い、プロデューサーは関雅行、音楽は後にコナミに移籍し『がんばれゴエモン2』(1989年)等を手掛ける事となる村田幸史が担当している。開発時の仮称は『リアルベースボール ペナントレース'87』であった。ジャレコの代表作として、後年シリーズ化された(#作品リストを参照)。

    ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてゴールド殿堂入りを獲得した。

    Wikipediaより
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%83%E3%81%88%E3%82%8D!!%E3%83%97%E3%83%AD%E9%87%8E%E7%90%83

    1 muffin ★ :2020/06/26(金) 13:37:10 ID:5F1DZFBt9.net

    https://magmix.jp/post/30434
    2020.06.26

    1987年6月26日は、ジャレコからファミコン版『燃えろ!!プロ野球』が発売された日です。それまでファミコンで人気のあった野球ゲーム『ベースボール』や『ファミリースタジアム』とは異なり、TV中継風のプレイ画面と合成音声、12球団の選手がほぼ実名で登場するという当時としては豪華な仕様で注目を浴びました。しかしバントでホームランが打てるという仕様上の問題や、バグの多さなどから物議をかもしたタイトルでもあります。プレイ当時の思い出を、ライターの早川清一朗さんが語ります。

    ファミコンでは多くの野球ゲームが発売されましたが、そのなかでもひときわ物議をかもしたのが『燃えろ!!プロ野球』(以下、燃えプロ)です。『ベースボール』『ファミリースタジアム』といった傑作野球ゲームの後を継いで登場したこのゲームは、今までに発売されたゲームとは明らかに違っていました。

    まず登場する野球チームがNPB全12球団そろっていること。選手がほぼ実名であること。そしてまるでTV中継のような画面でゲームをプレイできるということ。これらの要素は当時の少年たちにとって、感情移入するための恰好の材料となっていたのです。ただ、選手の実名は許可を取っていなかったそうで、後に抗議を受けたそうですが、それでも発売中止にならなかったのは、当時の日本の空気がおおらかだったためでしょうか。

    ピッチャーが投げ込むボールに狙ってバットを合わせるのがとにかく難しかったのです。「こんなの、どうすればいいの?」と考えていると、友達が「こうすればいいんだよ」と、あるバッターにバントの構えをさせたのです。どうせ打てないだろうと思いボールを投げ込むと、友達はスッとバットをスライドさせ、ボールに当てにいったのです。

    『燃えプロ』は一部の強打者はバントするだけでホームランになる強烈なバグが存在しており、これは「バントホームラン」と呼ばれ後々までネタにされ続けています。特にヤクルトに所属していたホーナーは強烈で、全打席バントホームランはごく当たり前の出来事でした。はっきり言ってクソゲー。これが当時の子供たちが出した結論だったと思います。他にもファールの後はどんなボールでもストライクの判定となるバグの存在や、やたらと広い外野など、細かい調整が行われていないことは明らかでした。

    そして何よりも恐ろしいのが、当時のファミコン人気の過熱ぶりもあって、実に158万本もの売り上げを叩き出してしまっていたのです。当然のように恐ろしいまでの値崩れが起こります。みるみるうちに値段は下がり続けました。筆者の記憶では、中古で180円というのが最安値だったように思います。おそらく、もっと安値で買ったという方もいるのではないでしょうか。

     ジャレコにも大量のクレームが届いたため、データの修正を行うことになりましたが、今のように配信でポンとアップデートできるわけではありません。カセットを回収し、バラし、中のROMを入れ替える地獄のような作業が行われ、ケガ人も続出したそうです。

    全文はソースをご覧ください

    (出典 magmix.jp)


    【【ゲーム】『燃えろ!!プロ野球』1987年ジャレコより発売された、バグ続出も売れすぎてしまった伝説のファミコン用野球ゲーム!】の続きを読む

    このページのトップヘ